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40年目のカメラマン [放送]

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私のカメラマンとしての出発点はヒロシマです。40年以上も昔のことです。当時の大先輩方を囲んで折にふれて「広島会」を開いています。土曜日の夜の会場は青山・能代。

はじめはカメラマンではなくて、始まったばかりのTVニュース担当でした。原稿をテレビ向きにリライトしたりタイトルをつけたり、ニュース送出などをやる「コメント」業務です。

その頃のテロップは「手書き」でした。ニュース前の追い込み時には、ドライヤーで乾かしていました。

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テレビニュースは始まってまもないころで、当時のカメラマンは映画会社からの転出組が多かったようです。カッコイイ先輩方をみながら「TV局ならカメラマン!」というわけで路線変更しました。時々、先輩の取材用カメラ「フィルモDR」や「アリフレックス16」を借りて、撮影の勉強をしたものです。

もっともカメラマンの前に、TVニュースの取材や制作をやったことは、カメラマンとしてやっていく上でいい経験になりました。そういう意味で原点の「ヒロシマ」は格別な思いがあります。

かつてのカメラマンは上は80歳を越え、ガンで腎臓をとったりと40年の歳月とそれぞれの人生を滲ませた飲み会ですが、濃い時代を過ごした先輩方との時間はなかなか貴重ですねえ。


長野大学・web時代のビデオ制作講座  [放送]

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12~13日、長野県上田でインターネット放送をテーマにしたビデオ制作講座が開かれます。

主催は長野大学。講師として参加することになりました。

報道カメラマン時代に企業内自立ワンマンプロダクション系としてやってきたところもあるので、少しでもお役に立てればと思い引き受けました。サブテーマに「インターネット放送局ディレクター養成講座」とあるように、ワンマンプロダクションでは企画立案はもちろん、撮影、編集、送出をひとりでこなす必要があります。カメラマンの仕事の本質は現場のマネージメントと私は昔から考えていますので、ディレクターに近いものがあります。

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昨夜のNHKクローズアップ現代はすばり!「インターネット放送」。

インターネット放送の利用者は、現在400万人に達しているそうで、大手マスコミの恣意的情報ではなくて自分たち目線の情報を発信していきたいというイマの状況を象徴しているのかもしれません。

かつての職場を離れて新聞、テレビを見るに内容はまさにマスゴミ~ [わーい(嬉しい顔)]  

テレビに出演しているのは官房機密費もらったネオコンみたいな連中がほとんど・・みたい。

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さて講座のないようですが、12日は長野・上田の蚕都上田館m、13日は長野大学4号館が会場です。

きのう、ローランドのVR-5を発送しました。

きょうは、そのほかの機材を担いでいざ長野へ~[るんるん]


尖閣流出映像は誰が~ [放送]

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空き缶内閣がひた隠しにしていた尖閣衝突ビデオが、YouTubeで公開されてしまいました。

かつて海保の撮影技術を高めるために3管や霞ヶ関の本庁で、現場の方々を対象に映像セミナーを何度か開いたことがあります。

北朝鮮不審船事件の頃ですが、たぶん海保の撮影能力向上に少しでも貢献できたのかも・・・・?。

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今回の流出映像は、明らかに中国側がぶつけてきたところがばっちり撮影されています。先日、国会議員に見せた映像で省略されている映像だとすると・・・、どの部分で意図的に編集したのか興味ありますね。

さて、どこから流出したのか犯人捜しが始まっていますが、考えられるところは3つ。

① 那覇地検 ② 海保  ③ 映像編集を請け負っている業者

私としては、③ がいちばん怪しいとは思うんですけどね。(* その後(6日現在)の調べで流出したのは石垣島海保らしい・・・とされています。)

しかし、ワタクシ思うんですけど今回の事件でイチバン怒っているのは無脳政治に翻弄された那覇地検、日本最大の犯罪集団なんていわれている検察庁が犯人のほうが「世論」には歓迎されますね。国民の知る権利に答えた快挙という見方も一部にはありますので、そのあたりで政治決着をはかってもらいたいものです。ムリですかね・・・。

事件直後に映像をすぐに公開し、事実のみを判断基準にすればいいところを、空き缶頭で情報を操作しようとして、つまるところはタイミングを失ってしまいましたね。現場の海保の仕事を無為にしてしまった仙管ヤマト一味は、沈むしかないのかも・・・。

昨日、タクシーに乗ったら運転手さんが「小沢さんならこんなことにはならなかった」とっておりましたが、一連の反小沢報道はマスゴミの捏造だったことバレつつあるんでしょうかねえ。

おもしろいパロディ動画がありました、こちら~ [わーい(嬉しい顔)]


カメルーン [放送]

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特にサッカーファンというわけではないけど、日本vsカメルーン戦を最後まで見てしまいました。

旧中津江村の方々やサッカーファンでなければ、ほとんどなじみのない国ですが、20年余り前、カメルーンに緊急のシゴトで行ったことがあります。

1986年、アフリカ中西部の国カメルーンのニオス湖から、有毒ガスが噴出し、麓にある村の住民1700人以上が死亡した災害取材です。(戸籍がないので正確な死者は不明)。

詳しくは、こちらを見てね。

資料を整理していたら・・・

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当時、カメルーンのホテルで食事したときのレシートのようなものが出てきました。

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たぶん、その時のランチ・・・。

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かつてフランスの植民地だったので、通貨の単位はフラン!

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会話もフランス語です。

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赤茶けたカメルーンの大地をトヨタの車で走った記憶がありますが、道路の真ん中に事故車が放置されていたりして、アフリカのハイウェイはちょっとコワかったですね。

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もの凄い悪路だったので車は2台ともクラッシュしてしまい、現場まで歩くはめになりました。

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全滅した村の生き残り、主を失ったワンコが、じっ~とボクを見つめていました。

そういうわけで「カメルーン」でつい連想するのは、サッカーではなく生き物の声も聞こえず静けさにつつまれた村のイメージです。


タイムマシン [放送]

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昨夜は青山で会合。数十年前、つまり私がカメラマンになりたてのころ、共通の時間をすごした方々の同窓会みたいなものです。

ことしで15回目だそうでが、初めて出席しました。

これまで過去を振り返ることに興味はなかったのですが、たまたま連絡の電話をくれたのが、当時新人記者のTさんだったので、出てくるハメになりました。

もっとも、ワタシも過去を懐かしむ年齢になってしまったということでしょうか~[猫]

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初対面の方もおられ、記者、アナウンサー、ディレクター、カメラマンなど、それぞれの人生を刻んだシワの下にかつての面影をたどったひととき ~ [わーい(嬉しい顔)]   


潜水艦なだしお事故 [放送]

自衛艦の事故を取材した経験は一度あります。

ざっと20年前の1988年7月、潜水艦「なだしお」が横須賀沖で遊漁船第一富士丸と衝突、30人の方が亡くなりました。ヘリコプターによる中継とリポートを初めて経験しました。

当時はいまのように常駐の新木場HPではなく、放送ンターの屋上からのピックアップでした。現場上空に到着するとさっそく映像がつながり中継(当時はカメラは手持ちでした)がスタートしましたが、それとはおかまいなく現場リポートの注文~♪ 

えんえん3時間近く、燃料切れまで、撮影しつつ、リポートしました。

大事件、大事故の一報映像は、まずヘリ空撮です。カメラマン一人で搭乗することが多いので、まさかの時は、どこからも援軍はなく、けっこうタイヘンな状況になってしいまいます。

自衛艦「くらま」の事故でも、TV局のほかに、新聞社までヘリ取材をして動画までwebで公開しています。一部の映像しか見ていませんが空撮技術としてはイマイチのようです。

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この時の私のリポートなどを集めて、「大事件、大事故発生時のリポート表現」というテーマで本になっています。

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「エ~」とか「あ~」まで含めたワタクシのリポート内容も、そのまま活字化され、さらに「こうすれば良かった」という論評までついて、私の冷や汗たらたらリポートを今更ながら思い出させてくれます。そんなに分かっているんだったら教えてよ~といいたいところですが、どこからも助言などはなく糸の切れたタコのように狭い機内で冷や汗をかいていたわけです。

こうした、大事件や大事故を撮影しながらリポートという状況は、なが~いカメラマン人生でも経験することは滅多にありませんが、もしあたってしまったらタイヘンです。生放送なので全国的に恥をかいてしまうわけです。ま~ふだんから練習しておけばいいんですけどね。

その後、東京でへりデスクを仰せつかったこともあって、最後までヘリとは縁が切れませんでした。もっとも、へりとの最初のおつきあいが始まったのは、いまから30年以上も前の新人時代で、艦船模型と同様に、ラジコンヘリでしたけどね。けっきょく、当時はジャイロセンサーなどもなく飛ばすたびに、墜落→大破の大事故で途中でパイロットには向いてないと実感、断念しました。

ところで、今回の衝突事故は日韓関係を下敷きにしているのでいろんな意見が飛び交っています。船は右側航行が原則だそうですが、韓国船は急速左旋回で横になった状態で「くらま」と衝突したらしい・・・と推測されています。あんなに狭い場所で追い抜く必要があったのかどうかかなり疑問ですね。

NHKの映像から、Google Earthを使って、衝突場所を推定した。

 ↑ 「ばばたか」さんのブログで個人的に分析しておられます。おもしろいです。


自衛艦のデザインと性能 [放送]

機能を選ぶかデザインを選ぶか?は難しい問題です。
 
社員カメラマン時代は、カメラを選べませんでしたが、自前で購入するイマは、まずデザインありきですね。いいデザインのものは性能もいいような気がします。

DSCN4675.JPG ← くらまの艦首

わがふるさと関門海峡で自衛艦「くらま」と「韓国船」の衝突事故は、前から思っていた自衛艦のデザインについて考えるきっかけになりました。船首部分が大破した「くらま」のダメージは大きいですね。復旧までに1年ほどかかるとか~♪ 軍艦とはいってもかなり華奢なんですね。かつての帝国海軍の軍艦と比べるとちょっと情けない感じです。韓国側からみると日帝の軍艦を名もなき貨物船が撃破したことになるので、万歳三唱した方がいるかも~♪

戦後一貫して戦ったことがない自衛隊の戦闘艦が、日常的には、漁船や貨物船など民間の船相手に戦っているのは不思議なことですが、海保の巡視船はRPG撃ちまくる北朝鮮の不審船を奄美沖海戦にて、20ミリ機関砲で応戦、これを撃破していますので、沿岸警備隊である海保のほうが先に実戦経験ありなんですかね。

実は、ワタクシも艦船模型マニアでしてガキの頃から、せっせと木造の軍艦を建造していましたが、報道カメラマンになってもプラモデルの駆逐艦を改造してラジコン化して走航させていました。いまでも石神井池のヘドロの中に何隻か埋まっているのであります。

300px-JMSDF_destroyer_Kurama_(DDH-144).jpg ← 自衛艦 くらま

しかし・・・・、自衛艦だけは造る気がまったっくおこりません。カッコ良くないのです。イージス艦にいたるまで、やたら垢抜けないデザインだと感じています。どうせ戦争しない軍艦なんだから・・・という雰囲気が漂っているようです。平和でいいのかもしれませんがね。

300px-ROKS_Sejong_the_Great_(DDG_991).jpg ← 韓国 「世宗大王」

さて、噂の韓国ですが世界で5番目のイージス艦所有国です。先日読んだ架空戦記(シュミレーション)小説では、すでに日本と戦闘状態に入ったものの、残念ながら返り討ち~にありました。

この「世宗大王」級は、日本のイージス艦と違ってハリネズミのような重武装が評判です。カタログデータ的には、トップクラスの武装ですが、重心もトップヘビーじゃないの?という声もあるようです。国家予算が日本の数分の一以下しかないのに、かなり無理してるんじゃないでしょうかねえ。

300px-IJN_Heavy_Cruiser_Takao.jpg ← 重巡 高雄

戦闘に使う兵器は、効率的に殺傷、破壊する能力が求められるわけですが、高性能なものは、無駄がないデザインというか機能美にあふれていて、やはり美しい!?ものがあります。漁船と衝突事故を起こしたイージス艦「あたご」も、先輩にあたる旧軍重巡「高雄」や「妙高」などが持っていたある種の美しさがありません。

ボクだけの印象かと思っていたら、先日、亡くなられた軍事評論家の江畑健介氏は、「最近の中国製の軍艦のほうが美しいデザインをしていて、性能も上ではないのか・・・・」という意味のことを、いっておられた記憶があります。

ところで、江畑さんとはかつて取材でご一緒したことがあります。横須賀港にアメリカのイージス艦「バンカーヒル」が入港した際、放送センターから二人でハイヤーにのり、2時間近く車内でお話を伺ったことがあります。まったく嫌みのない透明感のあるお話をされる方で、非常に親近感を持ちました。かつての艦船模型マニアとして、非常に貴重な時間を過ごさせてもらいました。

ご冥福をお祈りいたします。


広島会 [放送]

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金曜日夜、渋谷。齢重ねた男だけの飲み会です。

80を超えた方もいて、元カメラマンは元気なのです。

昭和40年頃、広島放送局でカメラマンしていた大先輩方を囲んで広島会を時々、開いています。

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当時、私はカメラマンではなく、TVニュースをやっていました。フィルムに合わせて原稿に手をいれたり、ニュースのタイトルやテロップをつくり(手書きでした!)、それを送出したりする仕事でした。すべて17-24の夜勤にしてもらい昼間の大学に行っていました。社員のまま、そんなことができたのですからおおらかな時代だったと思います。

カメラはニュース取材はフィルモ DR、番組取材はアリフレックス 16ST、同録取材はオリコン、エクレールなど・・・。カメラマンをやりたかった私は、先輩から機材の使い方を教えてもらいました。

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そうした先輩方の薫陶をうけてカメラマンに担務変更したわけですが、映像ジャーナリストとしての第一歩を記したのが広島で、TVニュース制作の仕事が原点だったので、その後の私の生き方にかなり影響を与えたという意味で、忘れられない方々です。


ニュース価値 [放送]

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オリンピックの見過ぎて寝不足、フラフラと渋谷駅についたら騒乱状態!?

さてはテロ!と眠気も飛んでいきました。

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犯人は、天井近くでこちらを見下ろしているニホンザル!

それにしても大変な騒ぎです。

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警官は絶叫し、ヒマ人は携帯で撮影中~♪

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マスコミもいっぱいいました~♪  古巣の放送局からもカメラマンが二人、こんなネタに二人とはよほどヒマだったか、取りこぼしをデスクが心配したのかな・・・。 民放のリポーターは例によって絶叫していました。

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そういうわけでけさは、各局?とも絶叫リポート~♪ 

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それでも足りなくてさらに中継していました。

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サルがなぜ渋谷にいるのか?という疑問にこたえず、現象だけ針小棒大に伝えるテレビはちょっと変~♪

以前も、秋葉原通り魔事件で現場に捧げられた飲み物などを、持ち去るホームレスの方々を、正義の味方としてシツコク追求していたワイドショー番組がありました。どうせ捨てられてしまうものを、生きるためにやむを得ず拝借する方を追求する番組などちょっと悲しいものがありましたね。小さな正義、大きなお世話~♪

カメラマンは職種的にいちばん弱いところがあり、上司の命令とあらばいやな仕事もやらないといけません。そこで私は自分でネタを探し、リポートする路線に変更したわけです。会社をやめたイマ、それでメシがなんとか食える?のは、ちょっと皮肉ですね。しかし、バカな上司を批判するだけではダメです。

民放のディレクターから聞いたスタッフカメラマンへの注文~♪

① 文句があれば、代案を出せ。なければ黙れ。

② 自分の引き出しをいっぱい作れ。

③ ↑ の二つができなければ、現場に向いていない。デスクになれ。


ビデオクラブ新年会 [放送]

全国に「NHK」の名前がつくビデオクラブが各地にあり、例会をNHKで開いたりチームカメラマン(管理職)が指導にあたっています。

私も子会社に転籍するまでは、報道局アマチュアビデオ事務局を担当していました。NHK多摩ビデオクラブは東京直轄のビデオクラブで、立川駅北口の多摩報道室のあるビルで毎月例会を開いており、月1回出席して作品つくりのお手伝いなどをしていました。

 

きのうは、例会のあと新年会~♪、いつもならカメラマンが担当するわけですが、あいにく出席不可能だそうで、私が久しぶりに後輩の代役をつとめました。

例会のあと、近くの居酒屋で新年会~♪ 

最後に一本締めでことし1年のスタートを祝いました。


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