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仙台・庄司家の「とろろ」 [農業]

これは、杜の都「仙台」の誇る郷土料理「とろろ汁」である。宮城野区原町の庄司 幸助さん謹製の、この「とろろ」で今年も新しい年を迎えたのを実感する。

この日、庄司さん宅にいつものメンバー10数人が集まった。

故郷の味の伝道師 庄司幸助さんは、「仙台のブナ林と、水、自然を守る会」など東北の自然保護運動に長年活躍された方で、「私の仙台時代」の山と自然、環境問題の先生である。15年前のあの日、偶然にも、仙台141ビルの前で船形山にあるブナ原生林の保護を訴えていた庄司さんにあわなければ、私の人生も変わっていたように思う

まずこの1年の恙なしを乾杯!

八王子ビデオクラブの岡山庄一さんからは、今年も「越乃寒梅」の差し入れを頂いた。

そして「とろろ」制作も最終課程にはいった。

山芋(自然薯)のすり下ろしは、子供の頃からやっていた方が多く、みなさん非常にうるさい。

するほどに粘りがでてきて、総力戦の雰囲気である。

 

みそ汁の上澄みで、とろろを薄めていく。このみそ汁の出汁は「仙台湾産のハゼ」でないとイケナイという掟を庄司家のとろろは遵守している。

薄め方の頃合いが難しい。

OKを出すのは、総料理長の庄司さんである。

庄司さんは、衆議院議員を2期つとめた。政治の世界を退いたあと、東北の自然保護運動に力をいれた。なにより市民運動の視点を盛り込んだことが、多くの人の理解を得られたポイントであると思う。

車の免許を持たない私は、「庄司運転手」の案内で東北各地を案内してもらった。「元衆議院議員を運転手にしたのはオメエくらいだ」とこの日もからかわれた。

麦飯の上に、暖かいとろろをかける。

つぎに、サケ、筋子、ネギ、おろし大根などのトッピングをのせる。

去年の正月からこの日まで、1年間待ち望んだ瞬間である。えも言われない豊かな「とろろ」の味がしみこむ。至福の瞬間である。

寂として声なく「とろろ」をすする音だけが支配する。

ま、そういうわけで年の初めに待ちかねて味わう「とろろ」は、この1年の幸せの予感を漂わせている。

この「とろろ」については、庄司さんの著作「とろろの心」に詳しい。 (仙台なら図書館にあると思います)

たくさんの時間と思い、自然の恵みがつまっている「とろろ」は、最高に贅沢な料理のひとつではないか・・・と思う。

ところで、庄司さんは、カノープスのUltraEditでノンリニア編集をしている。これに関しては、私の弟子である。


ボクはむかし、兼業農家だった [農業]

「水田に産廃」取材は一種の調査報道みたいなものである。自分の目で観察し、仮説を組み立て、それに従って取材するしかないわけで、警察発表垂れ流しあるいは政治権力すりより記者にはなりたくてもなれない・・・。なにしろ水田に記者クラブはないからである。

そこで、自分でコメつくりをしながら、農業取材をやろうと思った。

山形の3年間、市内飯田の前田さんの田んぼを借りて米を作ることにした。

アパートの庭で種籾から苗を育てた。加温なしで冷え込みのまだ厳しい山形でも苗はたくましく育った。

このあたりでも連休に田植えをするのが一般的だが、6月はじめに田植えをした。人の都合より、稲の都合を優先するとずらしたほうがいいのだ。

家族で田植えをした。下の娘はこのころ幼稚園、いまは高2である。

山形でのコメ作りは、松山に転勤するまでの3年間行った。3年目は、不耕起直まきに挑戦した。しかし、雑草の展覧会のようになって、見事に失敗した。欲をかくといけないのである。

米つくりしながら、米と農業の取材を重ねるなかでわかったことは、農業についての報道は、農政・行政サイドからの一方的な発表に基づく、垂れ流し報道が多いことである。

仙台、山形でのコメと農業取材、そしてコメつくりを通じて、いろんな方を取材させていただいた。毎年、忘年会は、そうした方々が一同に集まる。

先日も、遅ればせながら宮城・松島の会場にかけつけ、なんとか乾杯に間に合いました来年は、東京でやる予定です。

 


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