SSブログ

アマ用機材で放送してきた・・・(その後の動き追加編集中~♪) [放送]

 「アマ用機材で放送してきた・・・」というこの項目は、私の基本的なスタンスなので折に触れてバージョンアップしてきました。カメラマンもいろいろです。私の場合は元報道カメラマン、映像ジャーナリスト的に社員カメラマンとしてやってきました。その後、天下りカルチャー会社、セミナー講師、いまは青山で趣味か仕事が自分でも不明な映像制作をほそぼそをやってきたわけですが、その背景にはいちおう、意味がある?として、終活にはちょっとはやいけど最近の動きを追加することにしました。長いのでヒマナ方のみお読みください。

私は、映像ジャーナリズムは、取材、撮影、編集、リポートまですべて一人でやるのが基本だと思っている。しかし、大きな組織では「仕事の有りよう」としての問題になることもある。 それぞれの職種を専門にやっているヒトがいるからである。
他人の仕事をやってはイケナイのである。もっとも専門だからといって腕のいいやつはそんなにいるわけではない。  

民生機を使ってコンパクトな取材、制作システムを組み、生きの良いニュースを出したい!                                                      その思いが可能になったのが1985年以降に登場したHi8。                                                                    
当時、仕事で使っていたのはソニーのβカム、Hi8とは画質は比べものにならない。                                         
解像度はβカムは540本、Hi8は実質的には400本程度と比較にならない。                                                 
しかし、βカムでは当時、現場編集システムはまだ登場していなかった。                                                    
最小のスタッフとコンパクトな機材を投入して                                                                                                                      「中継+当日取材、編集のニュース、企画を放送することを考え                                        山形→松山→東京と転勤先の勤務地毎に少しずつグレードを上げながら実行した。                                                                       その始まりが1985年、当時はHi8でアナログ、最終的には1995年に登場したデジタルのDVは                                                     βカムと同じ540本の解像度でしかも編集しても映像は劣化しない。                                                                                                       これとDVノンリニア編集の組み合わせで現場編集&送出システムが可能になった。
                                    

(上 愛媛県城川町 1997年 デジタル移動スタジオ CS中継車を利用)

名付けて「デジタル移動スタジオ」シリーズ!

デジタル技術に応じて仕事のありようも変わってきた。その変革を記してみた。

① Hi8 (山形・酒田沖の飛島) FPU中継 1990年頃

飛島の中継ポイント。ここからFPUで本土に飛ばした。 
画面右のデスクに、編集、送出機材(ソニー製Hi8Wデッキ+ローランド びでおくん編集スタジオ)。                      
本番前のリハーサルをやっているところ。後ろ姿はHカメラマン、女性はリポーター嬢

 

ここで使ったのは業務用Hi8カメラと業務用のWデッキ(いずれも自前で購入した。あわせて140万円)。スタッフは、私のほかに後輩カメラマン1、バイト1,女性リポーター1,エンジニア1の4人。

夕方6時台のローカルニュース枠で持ち時間10分で3回シリーズを放送した。    Hi8のWデッキは編集後、送出デッキになりFPUで対岸の中継所に飛ばしてオンエアした。テロップは、ローランドの「ビデオくん編集スタジオ」でいれた。当時は、NECのPC98だった。

公共放送の伝統的エンジニアからは「Hi8を放送に使うなんて・・・・」と泣かれた。
しかし、画質よりも内容、生き生きしていることが大事なのだ。  
そんなわけ、確かにHi8の画質は良くなかったけど意味を感じて欲しかったね。
ちなみに、私が100万円余で買った業務用Hi8機はEVW300?だったか・・・ 

ローンの大半が残っているうちにVX-1000が登場。                        

値段は三分の一以下のVX-1000の画質が3倍くらい良かった。         
 デジタルビデオ時代が始まった。
EVW300を35万円で売り払いVX-1000を購入した。
借金だけが残った。 

② DV(松山・県境シリーズ) CS中継 1997年頃

1995年にDVが登場して解像度的にはβカムに匹敵するようになった。   

 そして、パソコンにデジタイズしてノンリニア編集が可能になった。
「デジタルになった」ことの意味は大きい。 
                                                                          
それ以前、それ以後、私の仕事のスタイルは変わった。                        

さらに中継・伝送システムは、CS(衛星)が使えるようになり
どこからでも送出が可能になった。

私は松山で午後6時台ニュースの編責(編集責任者)だったので
思い切った合理化を図って現場スタッフは最初は8人、その後12人にした。

古い技術系職員からは「マイク1本に人間は1人いるのだ!」としかられた。      

しかし、無視させていただいた。                                           

月~金の5回シリーズで、愛媛・高知の人跡希な?県境の街をまわりつつ
「中継+当日ニュース+企画ニュース」をすべて現場編集し 
CS(中継車)にパソコンを持ち込み、字幕(テロップ)も送出時にのせて送出し現場に小さいけど効率的な放送局をつくった。

現場に導入したパナソニックのラップトップエディタを中心に                                            取材、編集システムを組んだことと、現場システムを構築したエンジニアM君の存在だった。                       評判を聞いて視察にきた幹部は「一般化するのはチト無理」と首を振って帰って行った。

エンジニアM君から「パソコンを使って現場でテロップをのせることは可能」と提案があった。                        とかく放送局には現場に対して無線などで、デカイ声で意味のない「指示」を出して                                 自分の存在をアピールしたがる方が多く、人手と時間ない中でひたすら邪魔だった。                                       こちらのいうことをそのまま復唱するオウムみたいな連中はいらないのだ。                                     従って現場完結のミニ放送局にしてしまえば、「指示」の必要はなくなる。                                   上を見ながら仕事をする人がいるとタイヘンなのである。 

本番5分前に電源が落ちたりして冷や汗をかいたこともあったが                                         テロップですら1字の間違いもなくオンエアした。                                                  新しい仕事の現場を作ったと思った。放送記念日に表彰された。                                        もっとも、現場スタッフが全員、私の意図を理解していたわけではない。                                    編集マンは最後まで意味がわからなかったようだった。

酒もサカナもうまい松山でさらに、現場のマネージメント業に磨きをかけようと                                当時発表されたばかりのDVノンリニア編集を始めた。                                               最初はMotionJpegだったが全く使い物にならなかった。                                            そこで飛びついたのがCANOPUSのDVREX-M1。(約40万円した)                                     初めて実用的なノン二リア編集が可能になった。                                                  この当時はまだDUAL CPUを使った自作マシンは自信がなく                                              松山の有名なDOS/V SHOP INPUT(有限会社 インプット)に制作を依頼した。

HDDまわりはすべてSCSIにした。                                                           INPUTからは久々に「気合いの入ったマシン」といわれた。                                           このマシンで初めてDVノンリニアが仕事に使える! ことを実感した。                                     これが私のパソコン自作の始まりでもあった。そして、CANOPUSとの出会いである。

③ DV(東京・八丈島シリーズ) ISDN伝送 1999年頃

しかし、さらにパワーアップ!しようとしていた松山を2年で追放され、また東京に帰った。                          次のステージは八丈島に目をつけた。                                                        巨大縦割り組織の中でカメラマンがワンマンプロダクションを実行するには                                  東京から300キロ離れた舞台+デジタル技術+取材マインドが必要なのである。

今回はソニーのDVカメラ(DSR-500+PD100)を使い                                            編集は自作のパソコンCANOPUSDVSTORM)。                                                 当日ニュース本+企画ニュースの組み合わせで毎日5分余りの3回シリーズ。                                企画ニュースは前日取材で夜編集、翌朝は島の話題を取材して即編集                                   伝送はISDN回線(384k)を使った蓄積型電送装置(VAST-S)を使って1分の映像を11分かけて送った。

(上写真)ホテルの部屋が編集ルーム、焼酎のみながら深夜まで企画ニュースを編集した。                       早朝は、当日ネタを取材、やはりこの部屋で編集して、午後2時頃までに完パケ。伝送した。                       当日ニュース1本+企画ニュース 計5分のメニューである。                                           企画ニュースは「島で生きる女性たち」をテーマにした。

撮影、編集、送出までをワンマンで・・・という私の取材スタイルは                                       発想から20年後、DVの登場、パソコンソフトの進化で一応完成した。                                     もっとも、こうした手法は大きな組織としてはあまり一般的ではないが                                     低コスト化をはかり、進化するデジタル技術にあわせて                                              新しい仕事の現場を作っていくのはとても意味があると思う。                                           しかし、ヒトは往々にして、自分のために汗を流す連中をより歓迎する。

リスクを背負いながら新しい試みをやるヒトはそんなに増えない。                                        市民のためにある放送局なれど、メディアを自分のモノと思っている連中がはびこって                           裸の王様化したりやたら声のでかい方々が跋扈する組織にならなければ幸いである。

そして、3年前に放送局をやめた。                                                           一番の理由は、3週に1回あった徹夜のニュースセンターの泊まりデスクが2週に1回になったからである。               どちらかいうと体育会系(元柔道2段なのである)で頭脳労働者などでは毛頭ないが                             出勤時に買った3本のユンケルを、夕方、夜中、明け方と飲みつつ、ひたすら体力の消耗を強いられる                 奴隷のような仕事に意味があるとは思えなくなった。                                               もっとましな仕事などない・・・とは思ったが、もっとましな生き方はあるかもしれない・・・と思った。                    長年続けた仕事だったが何の感慨もなくやめた。                                                   2005年夏、ソニーのHDVのサンプル機を手にしたとき、ちょっと早まったかなと一瞬思った。                       HDVで取材、現場編集をやりたかったな。

④メール添付映像でスペシャル番組(東京) 2003年8月

そして、一昨年の夏、古巣から声がかかり、スペシャル番組を手伝うことになった。                             メール添付で全国からアマチュアビデオ映像を募集しようという、初の試みである。                             メール添付映像(フォーマットは                                                          QUICK TIEM,AVI,WMV,MEPGなど)→ノンリニア編集→HDCAMにコピーしてオンエアした。

番組は力のある各局のカメラマンが、ニホンのイマを活写するリポートを全力投球!                            そして私はアマビデオコーナーのコーディネートを担当した。

メール添付で寄せられた映像は800本!                                                      初めての試みとあってファイル容量が多すぎてプロバイダのメール容量制限に引っかかったり                      技術的にイマ一つだったが、将来を予感させる反響だった。                                           それと平行して助手のK君が南池袋のアマチュアカメラマン加藤さんと組んで                                     深夜の東京を朝までパトロールし事故のニュース3本を撮影                                           ノートパソコンで現場編集して送信し、番組内でオンエアするなどばっちりだった。

 

上の写真で「東京25時モバイル隊」というのがそれである。

東京モバイル隊の送信映像。編集はカノープス社のノートタイプ編集マシンCWS-30を使用。

ホットスポットが各地にあるいま、再挑戦してもいい手法ではないかと思う。                                  しかし、撮影と取材、編集、伝送を短時間に手際よくこなせるカメラマンがどのくらいいるのか?                     気になりますねえ。

スタジオの片隅で、メール添付映像をデコードして編集した。使用ソフトはCANOPUSのSTORM EDIT。

使用マシンは、自作マシンを持ち込んだ。                                                      編集が終わるとマシンのアナログアウトからスキャンコンバーター経由で                               HDCAMへコピー、無事オンエアされた。                                                       しかし、この時の私たちのチームは表にでない「影の軍隊」だった。                                      関係ないけどフランスのJ・P・メルヴィルは好きな監督である。

さらに・・・HDVが登場した2005年の暮れ!

⑤HDV(東京・八丈島)2004年12月 Bフレッツ

後輩からHDVを使って八丈島から中継、伝送をやりたいと連絡があり協力した。                              この年の9月に八丈島にBフレッツが開通したためにHDVとの組み合わせが実現した。                          リスクを自分で背負いながら 新技術に挑戦する・・・これは大事だと思う。                                  さて、この時使ったのは発売されたばかりのHDR-FX1と                                              ソニーより借りたVAIO Rタイプのノンリニア編集マシン。                                             Bフレッツが開通したばかりの八丈島でIP伝送による現場編集をするなどしてオンエアした。 

私はこうしたアマチュア用機材を放送現場でつかってきた。                                           新しい技術(デジタル)を核にフラットな現場+マネージメントの組み合わせただけである。                         こうした移動スタジオあるいはキャラバン形式の放送はよくおこなわれるが                                    平社員を管理する管理職、管理職を管理する管理職が加わってどんどん肥大化していく。                         つまりヒトを管理したいだけの無駄な存在を省いた結果、数十人が8人になったということである。

今までアマ用機材が放送現場であまり使われないのは、画質が悪いからではなく                              内容も画質も悪いから使えないだけである。アマチュアの方々と話して感じる違和感は、そこにある。                  カメラがいいから作品がいいわけではない。何のために?誰に見せるのか?感性と                            それを実現する技術が大事なのだ。カメラは単なるツールでしかない。                                     10数万円で買えるハイビジョンカメラは、自称プロもどきを駆逐するきっかけになると期待している。

⑥ IP中継(~2006現在)

私が席を置く会社でも新しい試みとして、講座のCS(衛星)中継を試験的に行っている。                         有名講師による講座の映像をBフレッツ経由でCS地上局へ                                          各地の大型スクリーンで受講する計画である。

ご存じのようにCSはかなりコストがかかる。スポンサー次第である。                                        放送局のDNAを引きずるかたは魅力があるようだが、私には魅力がない。                                  とにかく文化的にどれだけ意味があろうと、株式会社としては                                          利益がでる構造でなければやる意味がない。

そういうわけで、私の狙いはあくまで低コスト、双方向である。                                         そうなるとインターネットプロトコルを使ったIP中継ということになる。    

そこでいろいろとやってみた。BHAのXVDコーデックを使った製品が発表された時は                           さっそく借りてテストしてみた。 なかなかいけた。                                                 現在、このハイビジョン版が放送局などで伝送や、中継に使われている。

← BHA(camcast)

BHA社の新製品「Camcastシリーズ」。双方向を可能にする「XVD Camcast.cx」である。                      弁当箱サイズのコンパクトな筐体で                                                          イーサーネットにつなぐだけで双方向の映像伝送が可能になる。

特徴は

① 一本のイーサーネットでビデオの双方向配信可能

② 高画質、高圧縮のXVDフォーマット採用

③ 720×480,フルモーション、フルサイズの送信可能

④ コンパクト、リモコンだけで簡単設定

こちらは、受信会場。ビットレートは2Mbpsに設定。100人くらいの会場ならまったく問題ないレベルで                視聴可能である。

使用機材は送信会場に、ソニーDSR-500、PD-170を                                           スイッチャーで切り替えた。受信会場には小型DVカメラを設置。非常にコンパクトな中継機材で済む。

中継カメラとスイッチャー担当は、ビデオ講座を受講している皆さんで、Aカメ、Bカメ、スイッチャーと                   それぞれのパートを交代しつつ何でもできるようにした。

3カメ+PC(テロップ)の4入力、まったくの素人カメラマンとスイッチャーで実用的かつ本格的な中継は可能である。

低コストをねらうためには、スイッチャーはご存じエディロール製、これでなんとかなるのだ。

もっとクオリティをあげるには、PCなどの高画質スキャンコンバーターと、スイッチャーも                          エディロールの ハイビジョン対応スイッチャーがいいのではないかと思っているが                             個人レベルではちょっと敷居が高い。                                                         いずれにしても、NPO的にWEB中継など考えているところである。

⑦  ハイビジョン中継(HDV) 2006年9月~伝送あたりまえ、そしてHDVの普及で当然、次はハイビジョンになるのは必然である。しかし、HDVはもともとアマチュア用規格として誕生した経緯があり、放送現場で使うにはフォーマットのど課題もあり、業界の隙間を狙った商品の登場を待たないといけない。

誰でもハイビジョン時代を迎え、SDからHDへ!                                                    そこで登場したのが音から映像へ、意表をつく機材を開発したローランド V-440HDが登場する。

HDVは圧縮コーデックです。25MbpsというDVなみのビットレートでハイビジョン化するため                       映像を圧縮展開する課程で遅れが生じてしまう。                                                  音声とずれてしまうため生中継には向かない・・と思われていた。                                        そこで遅延のないアナログHD信号を使うという発想である。        

130429061131.jpg ← V-440HD

  

↑ マルチフォーマットアダプター(ローランド)

イマまであるようでなかった2製品である。HDVカメラを使い、HDVデッキ収録、あるいはHD-SDIへの               信号の相互変換など自由自在。

ついにアマ用機材で放送・・・も、ハイビジョン時代に突入。

初舞台は2006年9月9日、東京・明治公園で行われたイベント「BE-IN2006」。

「BE-IN」を完全生収録するために、NHK文化センターのデジタルビデオ講座受講者の皆さんが                   ボランティアとして10名あまり参加した。

ステージが平場なのでAカメ、Bカメは高さ1.8メートルのイントレを組んだ。

いちばんステージに近いCカメ。 

Bカメ。

同じくBカメ。10時間近いロングランなのでカメラマンは二人体制。

こちらは押さえ用のDカメ。

以上の4入力を、スイッチャーで切り替える。

午前9時集合でセッティングを開始。12時ごろから「BE-IN」のステージがスタート。

コンサートや各種イベントをはさんで夜10時までなが~い一日の始まり。

ハイビジョンモニターは、エルグベンチャーズ製。

使用カメラはCANON XL-H1 2,SONY HVR-Z1J 2、FX1(中継用カメラ)ほかに                        インサート用としてA1J、FX1,HC1,HC3など。

余談だけど、ここで投入したボクの新品のA1Jは盗難にあい消えた。                                     せっかくのイベントに水をさしてはと盗難届けは出さなかった。                                          ただ、女性スタッフの現金も財布ごと盗られたのでこちらは届けた。

ハイビジョンマルチカメラをHDVデッキで収録するのは、初めての試みだったが                               コンバーターが各種必要で今後の課題となった。(詳細はビデオα 11月号)。 

 

とかく巨額のお金がかかる従来のハイビジョンにかわって
HDVをメインで使えれば大幅なコストダウンが可能になる  
いろんな制約もローランドのような隙間を狙った商品の誕生で克服されつつある。
ローカル局でも各地の通信部や報道室ではHDR-HC3など10万円前後のHDVカメラで取材しIP伝送してオンエアされるなど普通になった。 
しかし、放送関係者でも、ここ数年現場から離れていた方はこうした現実を知らない方が多い。いまだにHDCAMでなければ放送できなとと思っている連中が大半(2007年現在です)
特に上に立つ人ほどその傾向がある。

この後の展開についてはこのブログにも時々書きましたが、順を追ってまとめてご紹介したいと思う。

さて、私が一時在籍したカルチャーでは有名講師の講座をネット上で販売する「e カルチャー」なる事業をはじめたが,見事に巨額の赤字を出し、若い社員も次々にやめてしまい失敗するべくして失敗というお粗末な結果になった。  

原因は幹部があまりに時代に無知だったこと、しょせんはサラリーマン双六、権力亡者みたいな連中に経営の才能などないということだった。
なにしろ、地デジも始まろうとしているのに、SD、4:3で収録をはじめ、制作会社に丸投げして1本あたりの制作コストが100万円以上。
これで数千本のコンテンツを作るなどバカにもほどがある。
頭の中はどうなっているのか伺ってみたかった。              

前述のように、社員主体で行った講座のCS中継のなどの経験がまったく生かされなかった。

機材の進化で誰でも放送局を作れる時代がやってきた。

ここ数年、ブラックマジックデザインのスイッチャーなど新発想の機材が続々登場し誰でも放送局時代!。 
デジ研の皆さんと一昨年頃からUST中継をはじめ
昨年秋はシアターゼロで                                 「サクラ大戦奏組」公演をコニコ動画で中継した。

人民レベルだって適切な機材とそれなりの技術があれば、制作会社などとわたりあえるかもしれない・・という可能性を感じた。

しかし、UST中継など「だだ漏れ~」といってありがたがる風潮もあるようだけど  目の前の現象と伝えるだけならロボットカメラで十分。現実を市民感覚の目線で切り取って伝えなければ元報道カメラマンとしては誠にツマラナイ。
ただ映像を垂れ流すだけなら建設省にまかせておけばいいのだと思う。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。