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報道カメラマンの生き方? [放送]

このところブログの更新をサボっていたら相次いで電話で問い合わせがありました。

お先に失礼~したのかと思われていたようですが残念、もっぱらFACE BOOKしてましたので、ブログはご無沙汰していました。たかが200人もいないFBのために、ブログの更新を怠けていたわけですが、安否確認のご面倒をなくすためにもっとマジメにやりますかね。 

昨日は夕方から三軒茶屋で放送局時代の先輩カメラマンと飲み会でしたが、東横線はトラブルで深夜まで普通、さいわい溝ノ口経由の南武線で影響はありませんでしたが、武蔵小杉駅は帰れないサラリーマンで溢れていました。

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昨夜は報道カメラマンやっていた時の先輩方と久しぶりに飲み会。

こちらフーテンの寅さんみたいな映像制作hamaproですが、みなさんしっかりやっておられるようで、久々に先輩諸氏の薫陶を受けてほろ酔いで帰宅しました。

身体に染みついたカメラマン魂はいまも健在で、ばっちり稼いでいたり、社会貢献だったり、定年後のカメラマンは雀百まで踊りをなかなか忘れないようです。 


選挙の春 [放送]

今回の統一地方選挙にNPOつながりの友人が川崎市議選に立候補しました。おかげさまで、ポスター貼りや動画をインターネットにアップするなど応援に動員されて、まさに選挙の春~

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カメラは前半は、PXW-X70、後半からはX200をつかいました。

しかし、インターネットでの選挙活動が解禁になったのはつい最近のことです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E9%81%B8%E6%8C%99%E9%81%8B%E5%8B%95#.E8.A7.A3.E7.A6.81.E4.BB.A5.E5.89.8D

それが解禁になったのは、2013年4月の公職選挙法の改正からです。
http://www.jaipa.or.jp/senkyo/ability/

このあたりのことは知らない方も多いようです。

さて報道カメラマンしていた時は、選挙取材はしょっちゅうやっていましたが、最近の現場は技術的には進化をとげています。

SENKYO1.jpgSENKYO2.jpg

武蔵小杉前で前職場の放送局の後輩連中と遭遇しました。取材手法は昔と変わっていませんが、映像伝送が便利になりましたね。もっとも猿回しの猿・・という本質は変わっていませんけどね。

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さて21日に、港区と豊島区で最後の選挙取材しました。始めにお邪魔したのは港区六本木で飲食店を経営している橋本じゅり候補。きれいだけどしっかりしたポリシーをもつやさしいお姉さんという雰囲気の方です。

午後からは豊島区の関谷ふたば候補を池袋駅で取材。特設リングにアントニオ・猪木もやってきて盛り上がっていました。

夜は武蔵小杉のイベントに参加したので深夜に編集して朝方にアップこの2本をアップしました。

橋本じゅり候補の動画↓


 
関谷ふたば候補の動画 ↓



その日に取材、撮影したモノを編集して、当日、あるいは翌朝にはアップしておりました。
全部で9本。全員、日本を元気にする会公認の方々ですが、ボクの支持政党というワケではなく、たまたま友人つながりでそーいうことになっただけです。

久しぶりの選挙放送でしたが、今回はすべてボランティアだったので、忙しかった割には1円の収入もない月になってしまいました。タイヘンだぁ~・・・。

そんなわけで誰でも(未成年はダメよ~)、インターネットを通じて選挙活動が可能になりましたが、内容と活用によってはかなり差がでるようです。某候補はアップした翌日には支持者があっというまに拡散させましたが、ある候補はいまだに数回・・とかIT格差の世界でもあるようです。


選挙を撮る [放送]

某局で報道カメラマンしていたとき、口をすっぱくして言われたのは「公正中立、不偏不党」・・・
それはある種の幻想にしか過ぎないわけですが、形而上学的には遵守しないといけません。
あの候補より扱いが小さい、短い・・なんてクレームがくるわけです。

地元・武蔵小杉のボランティアつながりの友人が川崎市議選に立候補することになって、微力ながらボランティアの一員としてお手伝いすることになりました。
2日目は自転車で有権者にきめ細かく訴えます。

IMG_8096.JPG選挙1.jpg

そこでソニー アクションカム2台投入。

選挙2.jpg

自転車の籠、選挙カーのボンネットに固定しました。

その映像がコレ! (4月4日アップ)



そして、きのうは武蔵小杉駅前で演説です。
インタビューもあるのでカメラはソニー PXW-X200 を使いました。(前日まではX70)

その動画はコレ!(4月7日アップ)



なにしろ慢性赤字プロのボランティアなので、時間的にも余裕がなくいささか荒っぽい選挙動画シリーズですが、選挙動画解禁になってビジネスとしてやっているところもあるようです。しかし、うたい文句ほどにできが良くないのでボクのような素人でもいけそうです。次の地方選挙でシゴトにしますかねえ。

* 速攻でやっておりますので荒っぽいところがあるのはご容赦のほど~♫


新しい街には、新しい風が必要だ・・・ [放送]

4月3日、2015・統一地方選挙がスタートしました。
ボクが住んでいる川崎・武蔵小杉は、先日の中学生殺人事件など殺伐としたイメージがある一方で、巨大開発がすすみ新しい住民層が形成されつつあります。
しかし、開発が先行して相変わらずの教育行政、政治屋連中が多いことは前述の事件で浮き彫りにされています。うちの家賃も人気地区とあって先日、便乗値上げ! まったくカネさえ儲かればどうでもいい不動産屋など体質が古すぎるぅ~。
そこで統一地方選挙、ボランティアつながりの友人がそうした政治と行政に新しい風を起こそうと立候補しました。渋谷でITカンパニーのCEO、地元で子育てNPOで活躍している43歳のコバちゃんであります。
「すべては子どもたちのために!」がスローガンで立候補しました。
少しは映像で協力、あるいは報道カメラマンしていた時は、外側から政治を撮っていましたが、こんかいはインサイドから・・ということに興味津々!というわけでまず3日の動画から・・・・


4日は、アクションカムを使った選挙密着映像をご紹介予定!

ところで今回の選挙は新しい住民層が投票に行くかどうか?がカギになると思います。
ガードされているタワーマンションにすんでいるからといって子どもは安全なワケではありません。
子どもが安全に暮らす街にするには、みかけは華やかでも素顔の下は、昔のまんまの武蔵小杉を変えていかないといけないのであります。
実は川崎は犯罪発生率が高い地区です。
イジメやDV、子育てにはキビシイ街なのです。
旧態依然の行政、政治屋にまかせていては何にも変わりません。
まず身近な市会議員を、子育て世代の方々が自分たちで送り出すしかありません。

地元住民の一人として子どもたちに関係するいくつかのNPOに関わって痛感しました。
まず自分の足もと、そして身近な政治を変える=投票に、子どもたちの未来がかかっていることを、子育て世代の方々は考える必要があるとおもいます。

アマ用機材で放送してきた・・・(その後の動き追加編集中~♪) [放送]

 「アマ用機材で放送してきた・・・」というこの項目は、私の基本的なスタンスなので折に触れてバージョンアップしてきました。カメラマンもいろいろです。私の場合は元報道カメラマン、映像ジャーナリスト的に社員カメラマンとしてやってきました。その後、天下りカルチャー会社、セミナー講師、いまは青山で趣味か仕事が自分でも不明な映像制作をほそぼそをやってきたわけですが、その背景にはいちおう、意味がある?として、終活にはちょっとはやいけど最近の動きを追加することにしました。長いのでヒマナ方のみお読みください。

私は、映像ジャーナリズムは、取材、撮影、編集、リポートまですべて一人でやるのが基本だと思っている。しかし、大きな組織では「仕事の有りよう」としての問題になることもある。 それぞれの職種を専門にやっているヒトがいるからである。
他人の仕事をやってはイケナイのである。もっとも専門だからといって腕のいいやつはそんなにいるわけではない。  

民生機を使ってコンパクトな取材、制作システムを組み、生きの良いニュースを出したい!                                                      その思いが可能になったのが1985年以降に登場したHi8。                                                                    
当時、仕事で使っていたのはソニーのβカム、Hi8とは画質は比べものにならない。                                         
解像度はβカムは540本、Hi8は実質的には400本程度と比較にならない。                                                 
しかし、βカムでは当時、現場編集システムはまだ登場していなかった。                                                    
最小のスタッフとコンパクトな機材を投入して                                                                                                                      「中継+当日取材、編集のニュース、企画を放送することを考え                                        山形→松山→東京と転勤先の勤務地毎に少しずつグレードを上げながら実行した。                                                                       その始まりが1985年、当時はHi8でアナログ、最終的には1995年に登場したデジタルのDVは                                                     βカムと同じ540本の解像度でしかも編集しても映像は劣化しない。                                                                                                       これとDVノンリニア編集の組み合わせで現場編集&送出システムが可能になった。
                                    

(上 愛媛県城川町 1997年 デジタル移動スタジオ CS中継車を利用)

名付けて「デジタル移動スタジオ」シリーズ!

デジタル技術に応じて仕事のありようも変わってきた。その変革を記してみた。

① Hi8 (山形・酒田沖の飛島) FPU中継 1990年頃

飛島の中継ポイント。ここからFPUで本土に飛ばした。 
画面右のデスクに、編集、送出機材(ソニー製Hi8Wデッキ+ローランド びでおくん編集スタジオ)。                      
本番前のリハーサルをやっているところ。後ろ姿はHカメラマン、女性はリポーター嬢

 

ここで使ったのは業務用Hi8カメラと業務用のWデッキ(いずれも自前で購入した。あわせて140万円)。スタッフは、私のほかに後輩カメラマン1、バイト1,女性リポーター1,エンジニア1の4人。

夕方6時台のローカルニュース枠で持ち時間10分で3回シリーズを放送した。    Hi8のWデッキは編集後、送出デッキになりFPUで対岸の中継所に飛ばしてオンエアした。テロップは、ローランドの「ビデオくん編集スタジオ」でいれた。当時は、NECのPC98だった。

公共放送の伝統的エンジニアからは「Hi8を放送に使うなんて・・・・」と泣かれた。
しかし、画質よりも内容、生き生きしていることが大事なのだ。  
そんなわけ、確かにHi8の画質は良くなかったけど意味を感じて欲しかったね。
ちなみに、私が100万円余で買った業務用Hi8機はEVW300?だったか・・・ 

ローンの大半が残っているうちにVX-1000が登場。                        

値段は三分の一以下のVX-1000の画質が3倍くらい良かった。         
 デジタルビデオ時代が始まった。
EVW300を35万円で売り払いVX-1000を購入した。
借金だけが残った。 

② DV(松山・県境シリーズ) CS中継 1997年頃

1995年にDVが登場して解像度的にはβカムに匹敵するようになった。   

 そして、パソコンにデジタイズしてノンリニア編集が可能になった。
「デジタルになった」ことの意味は大きい。 
                                                                          
それ以前、それ以後、私の仕事のスタイルは変わった。                        

さらに中継・伝送システムは、CS(衛星)が使えるようになり
どこからでも送出が可能になった。

私は松山で午後6時台ニュースの編責(編集責任者)だったので
思い切った合理化を図って現場スタッフは最初は8人、その後12人にした。

古い技術系職員からは「マイク1本に人間は1人いるのだ!」としかられた。      

しかし、無視させていただいた。                                           

月~金の5回シリーズで、愛媛・高知の人跡希な?県境の街をまわりつつ
「中継+当日ニュース+企画ニュース」をすべて現場編集し 
CS(中継車)にパソコンを持ち込み、字幕(テロップ)も送出時にのせて送出し現場に小さいけど効率的な放送局をつくった。

現場に導入したパナソニックのラップトップエディタを中心に                                            取材、編集システムを組んだことと、現場システムを構築したエンジニアM君の存在だった。                       評判を聞いて視察にきた幹部は「一般化するのはチト無理」と首を振って帰って行った。

エンジニアM君から「パソコンを使って現場でテロップをのせることは可能」と提案があった。                        とかく放送局には現場に対して無線などで、デカイ声で意味のない「指示」を出して                                 自分の存在をアピールしたがる方が多く、人手と時間ない中でひたすら邪魔だった。                                       こちらのいうことをそのまま復唱するオウムみたいな連中はいらないのだ。                                     従って現場完結のミニ放送局にしてしまえば、「指示」の必要はなくなる。                                   上を見ながら仕事をする人がいるとタイヘンなのである。 

本番5分前に電源が落ちたりして冷や汗をかいたこともあったが                                         テロップですら1字の間違いもなくオンエアした。                                                  新しい仕事の現場を作ったと思った。放送記念日に表彰された。                                        もっとも、現場スタッフが全員、私の意図を理解していたわけではない。                                    編集マンは最後まで意味がわからなかったようだった。

酒もサカナもうまい松山でさらに、現場のマネージメント業に磨きをかけようと                                当時発表されたばかりのDVノンリニア編集を始めた。                                               最初はMotionJpegだったが全く使い物にならなかった。                                            そこで飛びついたのがCANOPUSのDVREX-M1。(約40万円した)                                     初めて実用的なノン二リア編集が可能になった。                                                  この当時はまだDUAL CPUを使った自作マシンは自信がなく                                              松山の有名なDOS/V SHOP INPUT(有限会社 インプット)に制作を依頼した。

HDDまわりはすべてSCSIにした。                                                           INPUTからは久々に「気合いの入ったマシン」といわれた。                                           このマシンで初めてDVノンリニアが仕事に使える! ことを実感した。                                     これが私のパソコン自作の始まりでもあった。そして、CANOPUSとの出会いである。

③ DV(東京・八丈島シリーズ) ISDN伝送 1999年頃

しかし、さらにパワーアップ!しようとしていた松山を2年で追放され、また東京に帰った。                          次のステージは八丈島に目をつけた。                                                        巨大縦割り組織の中でカメラマンがワンマンプロダクションを実行するには                                  東京から300キロ離れた舞台+デジタル技術+取材マインドが必要なのである。

今回はソニーのDVカメラ(DSR-500+PD100)を使い                                            編集は自作のパソコンCANOPUSDVSTORM)。                                                 当日ニュース本+企画ニュースの組み合わせで毎日5分余りの3回シリーズ。                                企画ニュースは前日取材で夜編集、翌朝は島の話題を取材して即編集                                   伝送はISDN回線(384k)を使った蓄積型電送装置(VAST-S)を使って1分の映像を11分かけて送った。

(上写真)ホテルの部屋が編集ルーム、焼酎のみながら深夜まで企画ニュースを編集した。                       早朝は、当日ネタを取材、やはりこの部屋で編集して、午後2時頃までに完パケ。伝送した。                       当日ニュース1本+企画ニュース 計5分のメニューである。                                           企画ニュースは「島で生きる女性たち」をテーマにした。

撮影、編集、送出までをワンマンで・・・という私の取材スタイルは                                       発想から20年後、DVの登場、パソコンソフトの進化で一応完成した。                                     もっとも、こうした手法は大きな組織としてはあまり一般的ではないが                                     低コスト化をはかり、進化するデジタル技術にあわせて                                              新しい仕事の現場を作っていくのはとても意味があると思う。                                           しかし、ヒトは往々にして、自分のために汗を流す連中をより歓迎する。

リスクを背負いながら新しい試みをやるヒトはそんなに増えない。                                        市民のためにある放送局なれど、メディアを自分のモノと思っている連中がはびこって                           裸の王様化したりやたら声のでかい方々が跋扈する組織にならなければ幸いである。

そして、3年前に放送局をやめた。                                                           一番の理由は、3週に1回あった徹夜のニュースセンターの泊まりデスクが2週に1回になったからである。               どちらかいうと体育会系(元柔道2段なのである)で頭脳労働者などでは毛頭ないが                             出勤時に買った3本のユンケルを、夕方、夜中、明け方と飲みつつ、ひたすら体力の消耗を強いられる                 奴隷のような仕事に意味があるとは思えなくなった。                                               もっとましな仕事などない・・・とは思ったが、もっとましな生き方はあるかもしれない・・・と思った。                    長年続けた仕事だったが何の感慨もなくやめた。                                                   2005年夏、ソニーのHDVのサンプル機を手にしたとき、ちょっと早まったかなと一瞬思った。                       HDVで取材、現場編集をやりたかったな。

④メール添付映像でスペシャル番組(東京) 2003年8月

そして、一昨年の夏、古巣から声がかかり、スペシャル番組を手伝うことになった。                             メール添付で全国からアマチュアビデオ映像を募集しようという、初の試みである。                             メール添付映像(フォーマットは                                                          QUICK TIEM,AVI,WMV,MEPGなど)→ノンリニア編集→HDCAMにコピーしてオンエアした。

番組は力のある各局のカメラマンが、ニホンのイマを活写するリポートを全力投球!                            そして私はアマビデオコーナーのコーディネートを担当した。

メール添付で寄せられた映像は800本!                                                      初めての試みとあってファイル容量が多すぎてプロバイダのメール容量制限に引っかかったり                      技術的にイマ一つだったが、将来を予感させる反響だった。                                           それと平行して助手のK君が南池袋のアマチュアカメラマン加藤さんと組んで                                     深夜の東京を朝までパトロールし事故のニュース3本を撮影                                           ノートパソコンで現場編集して送信し、番組内でオンエアするなどばっちりだった。

 

上の写真で「東京25時モバイル隊」というのがそれである。

東京モバイル隊の送信映像。編集はカノープス社のノートタイプ編集マシンCWS-30を使用。

ホットスポットが各地にあるいま、再挑戦してもいい手法ではないかと思う。                                  しかし、撮影と取材、編集、伝送を短時間に手際よくこなせるカメラマンがどのくらいいるのか?                     気になりますねえ。

スタジオの片隅で、メール添付映像をデコードして編集した。使用ソフトはCANOPUSのSTORM EDIT。

使用マシンは、自作マシンを持ち込んだ。                                                      編集が終わるとマシンのアナログアウトからスキャンコンバーター経由で                               HDCAMへコピー、無事オンエアされた。                                                       しかし、この時の私たちのチームは表にでない「影の軍隊」だった。                                      関係ないけどフランスのJ・P・メルヴィルは好きな監督である。

さらに・・・HDVが登場した2005年の暮れ!

⑤HDV(東京・八丈島)2004年12月 Bフレッツ

後輩からHDVを使って八丈島から中継、伝送をやりたいと連絡があり協力した。                              この年の9月に八丈島にBフレッツが開通したためにHDVとの組み合わせが実現した。                          リスクを自分で背負いながら 新技術に挑戦する・・・これは大事だと思う。                                  さて、この時使ったのは発売されたばかりのHDR-FX1と                                              ソニーより借りたVAIO Rタイプのノンリニア編集マシン。                                             Bフレッツが開通したばかりの八丈島でIP伝送による現場編集をするなどしてオンエアした。 

私はこうしたアマチュア用機材を放送現場でつかってきた。                                           新しい技術(デジタル)を核にフラットな現場+マネージメントの組み合わせただけである。                         こうした移動スタジオあるいはキャラバン形式の放送はよくおこなわれるが                                    平社員を管理する管理職、管理職を管理する管理職が加わってどんどん肥大化していく。                         つまりヒトを管理したいだけの無駄な存在を省いた結果、数十人が8人になったということである。

今までアマ用機材が放送現場であまり使われないのは、画質が悪いからではなく                              内容も画質も悪いから使えないだけである。アマチュアの方々と話して感じる違和感は、そこにある。                  カメラがいいから作品がいいわけではない。何のために?誰に見せるのか?感性と                            それを実現する技術が大事なのだ。カメラは単なるツールでしかない。                                     10数万円で買えるハイビジョンカメラは、自称プロもどきを駆逐するきっかけになると期待している。

⑥ IP中継(~2006現在)

私が席を置く会社でも新しい試みとして、講座のCS(衛星)中継を試験的に行っている。                         有名講師による講座の映像をBフレッツ経由でCS地上局へ                                          各地の大型スクリーンで受講する計画である。

ご存じのようにCSはかなりコストがかかる。スポンサー次第である。                                        放送局のDNAを引きずるかたは魅力があるようだが、私には魅力がない。                                  とにかく文化的にどれだけ意味があろうと、株式会社としては                                          利益がでる構造でなければやる意味がない。

そういうわけで、私の狙いはあくまで低コスト、双方向である。                                         そうなるとインターネットプロトコルを使ったIP中継ということになる。    

そこでいろいろとやってみた。BHAのXVDコーデックを使った製品が発表された時は                           さっそく借りてテストしてみた。 なかなかいけた。                                                 現在、このハイビジョン版が放送局などで伝送や、中継に使われている。

← BHA(camcast)

BHA社の新製品「Camcastシリーズ」。双方向を可能にする「XVD Camcast.cx」である。                      弁当箱サイズのコンパクトな筐体で                                                          イーサーネットにつなぐだけで双方向の映像伝送が可能になる。

特徴は

① 一本のイーサーネットでビデオの双方向配信可能

② 高画質、高圧縮のXVDフォーマット採用

③ 720×480,フルモーション、フルサイズの送信可能

④ コンパクト、リモコンだけで簡単設定

こちらは、受信会場。ビットレートは2Mbpsに設定。100人くらいの会場ならまったく問題ないレベルで                視聴可能である。

使用機材は送信会場に、ソニーDSR-500、PD-170を                                           スイッチャーで切り替えた。受信会場には小型DVカメラを設置。非常にコンパクトな中継機材で済む。

中継カメラとスイッチャー担当は、ビデオ講座を受講している皆さんで、Aカメ、Bカメ、スイッチャーと                   それぞれのパートを交代しつつ何でもできるようにした。

3カメ+PC(テロップ)の4入力、まったくの素人カメラマンとスイッチャーで実用的かつ本格的な中継は可能である。

低コストをねらうためには、スイッチャーはご存じエディロール製、これでなんとかなるのだ。

もっとクオリティをあげるには、PCなどの高画質スキャンコンバーターと、スイッチャーも                          エディロールの ハイビジョン対応スイッチャーがいいのではないかと思っているが                             個人レベルではちょっと敷居が高い。                                                         いずれにしても、NPO的にWEB中継など考えているところである。

⑦  ハイビジョン中継(HDV) 2006年9月~伝送あたりまえ、そしてHDVの普及で当然、次はハイビジョンになるのは必然である。しかし、HDVはもともとアマチュア用規格として誕生した経緯があり、放送現場で使うにはフォーマットのど課題もあり、業界の隙間を狙った商品の登場を待たないといけない。

誰でもハイビジョン時代を迎え、SDからHDへ!                                                    そこで登場したのが音から映像へ、意表をつく機材を開発したローランド V-440HDが登場する。

HDVは圧縮コーデックです。25MbpsというDVなみのビットレートでハイビジョン化するため                       映像を圧縮展開する課程で遅れが生じてしまう。                                                  音声とずれてしまうため生中継には向かない・・と思われていた。                                        そこで遅延のないアナログHD信号を使うという発想である。        

130429061131.jpg ← V-440HD

  

↑ マルチフォーマットアダプター(ローランド)

イマまであるようでなかった2製品である。HDVカメラを使い、HDVデッキ収録、あるいはHD-SDIへの               信号の相互変換など自由自在。

ついにアマ用機材で放送・・・も、ハイビジョン時代に突入。

初舞台は2006年9月9日、東京・明治公園で行われたイベント「BE-IN2006」。

「BE-IN」を完全生収録するために、NHK文化センターのデジタルビデオ講座受講者の皆さんが                   ボランティアとして10名あまり参加した。

ステージが平場なのでAカメ、Bカメは高さ1.8メートルのイントレを組んだ。

いちばんステージに近いCカメ。 

Bカメ。

同じくBカメ。10時間近いロングランなのでカメラマンは二人体制。

こちらは押さえ用のDカメ。

以上の4入力を、スイッチャーで切り替える。

午前9時集合でセッティングを開始。12時ごろから「BE-IN」のステージがスタート。

コンサートや各種イベントをはさんで夜10時までなが~い一日の始まり。

ハイビジョンモニターは、エルグベンチャーズ製。

使用カメラはCANON XL-H1 2,SONY HVR-Z1J 2、FX1(中継用カメラ)ほかに                        インサート用としてA1J、FX1,HC1,HC3など。

余談だけど、ここで投入したボクの新品のA1Jは盗難にあい消えた。                                     せっかくのイベントに水をさしてはと盗難届けは出さなかった。                                          ただ、女性スタッフの現金も財布ごと盗られたのでこちらは届けた。

ハイビジョンマルチカメラをHDVデッキで収録するのは、初めての試みだったが                               コンバーターが各種必要で今後の課題となった。(詳細はビデオα 11月号)。 

 

とかく巨額のお金がかかる従来のハイビジョンにかわって
HDVをメインで使えれば大幅なコストダウンが可能になる  
いろんな制約もローランドのような隙間を狙った商品の誕生で克服されつつある。
ローカル局でも各地の通信部や報道室ではHDR-HC3など10万円前後のHDVカメラで取材しIP伝送してオンエアされるなど普通になった。 
しかし、放送関係者でも、ここ数年現場から離れていた方はこうした現実を知らない方が多い。いまだにHDCAMでなければ放送できなとと思っている連中が大半(2007年現在です)
特に上に立つ人ほどその傾向がある。

この後の展開についてはこのブログにも時々書きましたが、順を追ってまとめてご紹介したいと思う。

さて、私が一時在籍したカルチャーでは有名講師の講座をネット上で販売する「e カルチャー」なる事業をはじめたが,見事に巨額の赤字を出し、若い社員も次々にやめてしまい失敗するべくして失敗というお粗末な結果になった。  

原因は幹部があまりに時代に無知だったこと、しょせんはサラリーマン双六、権力亡者みたいな連中に経営の才能などないということだった。
なにしろ、地デジも始まろうとしているのに、SD、4:3で収録をはじめ、制作会社に丸投げして1本あたりの制作コストが100万円以上。
これで数千本のコンテンツを作るなどバカにもほどがある。
頭の中はどうなっているのか伺ってみたかった。              

前述のように、社員主体で行った講座のCS中継のなどの経験がまったく生かされなかった。

機材の進化で誰でも放送局を作れる時代がやってきた。

ここ数年、ブラックマジックデザインのスイッチャーなど新発想の機材が続々登場し誰でも放送局時代!。 
デジ研の皆さんと一昨年頃からUST中継をはじめ
昨年秋はシアターゼロで                                 「サクラ大戦奏組」公演をコニコ動画で中継した。

人民レベルだって適切な機材とそれなりの技術があれば、制作会社などとわたりあえるかもしれない・・という可能性を感じた。

しかし、UST中継など「だだ漏れ~」といってありがたがる風潮もあるようだけど  目の前の現象と伝えるだけならロボットカメラで十分。現実を市民感覚の目線で切り取って伝えなければ元報道カメラマンとしては誠にツマラナイ。
ただ映像を垂れ流すだけなら建設省にまかせておけばいいのだと思う。


ニコニコ動画生放送~サクラ大戦・奏組~ [放送]

DSC_0708.JPG

きょう(11月1日)初日、「サクラ大戦奏組」~雅なるハーモニー~公演を、ニコニコ動画生放送しました。

朝10時、新宿・スペースゼロに集合。久しぶりに映像とインカムケーブル引き・・・。

DSC_0705.JPG

カメラはPMW-350 2台で上、下のアップ映像。

350の後ろに寄生しているのは久しぶりのnanoFLASH。

DSC_0704.JPG

PMW-200 2台でセンター ロングとミドル。

ほかにFS700やリモコンカメラ。

DSC_0698.JPG

パナソニックのスイッチャー。

XDCAM 4兄弟でスイッチングしましたが、兄弟だけあって調整が楽でした。

Still1102_00002.jpg

サクラ大戦奏組は人気少女漫画を舞台化したものですが、もちろん聞くのも見るのも初めて~。

DSC_0711.JPG

こちらでスイッチングした映像と音声を隣のニコ動スタッフへ。

午後9時、無事に生放送終了。 

nikko.jpg

昨日の中継はただいま第①幕が生放送されています。

http://live.nicovideo.jp/watch/lv112599665

こんどの日曜日も、ニコ生予定です。昨日の中継よりもカメラを増やす予定です。

ヒマな方、サクラ大戦ファンの皆さま、ビールなど飲みつつ日曜日はニコ生お楽しみください。

 


アマ用機材で放送してきた・・・(動画つき) [放送]

「アマ用機材で放送してきた・・・」というこの項目は、私の基本的なスタンスなので折に触れてバージョンアップしてきましたが、関連の動画をYOUTUBEにアップしましたので「動画付き」として更新しました。

私は、映像ジャーナリズムは、取材、撮影、編集、リポートまですべて一人でやるのが基本だと思っている。しかし、大きな組織では「仕事の有りよう」としての問題になることもある。それぞれの職種を専門にやっているヒトがいるからである。他人の仕事をやってはイケナイのである。もっとも専門だからといって腕のいいやつはそんなにいるわけではない。

民生機を使ってコンパクトな取材、制作システムを組み、生きの良いニュースを出したい!その思いが可能になったのが1985年以降に登場したHi8。当時、仕事で使っていたのはソニーのβカム、Hi8とは画質は比べものにならない。解像度はβカムは540本、Hi8は実質的には400本程度と比較にならない。しかし、βカムでは当時、現場編集システムはまだ登場していなかった。最小のスタッフとコンパクトな機材を投入して、「中継+当日取材、編集のニュース、企画を放送する」ことを考え、山形→松山→東京と転勤先の勤務地毎に少しずつグレードを上げながら実行した。その始まりが1985年当時はHi8でアナログ、最終的には1995年に登場したデジタルのDVはβカムと同じ540本の解像度でしかも編集しても映像は劣化しない。これとDVノンリニア編集の組み合わせで現場編集&送出システムが可能になった。

(上 愛媛県城川町 1997年 デジタル移動スタジオ CS中継車を利用)

名付けて「デジタル移動スタジオ」シリーズ!

デジタル技術に応じて仕事のありようも変わってきた。その変革を記してみた。

① Hi8 (山形・酒田沖の飛島) FPU中継 1990年頃

飛島の中継ポイント。ここからFPUで本土に飛ばした。画面右のデスクに、編集、送出機材(ソニー製Hi8Wデッキ+ローランド びでおくん編集スタジオ)。本番前のリハーサルをやっているところ。後ろ姿はHカメラマン、女性はリポーター嬢。(Hカメラマンと結婚すると思ったんだけどね)

ここで使ったのは業務用Hi8カメラと業務用のWデッキ(いずれも自前で購入した、あわせて140万円)。スタッフは、私のほかに後輩カメラマン1、バイト1,女性リポーター1,エンジニア1の4人。夕方6時台のローカルニュース枠で持ち時間10分で3回シリーズを放送した。Hi8のWデッキは編集後、送出デッキになりFPUで対岸の中継所に飛ばしてオンエアした。テロップは、ローランドの「ビデオくん編集スタジオ」でいれた。当時は、NECのPC98だった。公共放送の伝統的エンジニアからは「Hi8を放送に使うなんて・・・・」と泣かれた。

しかし、画質よりも内容、生き生きしていることが大事なのだ。そんなわけ、確かにHi8の画質は良くなかったけど、意味を感じて欲しかったね。ちなみに、私が100万円余で買った業務用Hi8機はEVW300?だったか・・・、ローンの大半が残っているうちにVX-1000が登場。値段は三分の一以下のVX-1000の画質が3倍くらい良かった。デジタルビデオ時代が始まった。EVW300を35万円で売り払いVX-1000を購入した。借金だけが残った。

② DV(松山・県境シリーズ) CS中継 1997年頃

1995年にDVが登場して解像度的にはβカムに匹敵するようになった。そして、パソコンにデジタイズしてノンリニア編集が可能になった。「デジタルになった」ことの意味は大きい。それ以前、それ以後、私の仕事のスタイルは変わった。さらに中継・伝送システムは、CS(衛星)が使えるようになりどこからでも送出が可能になった。

私は松山で午後6時台ニュースの編責(編集責任者)だったので、思い切った合理化を図って現場スタッフは最初は8人、その後12人にした。古い技術系職員からは「マイク1本に人間は1人いるのだ!」としかられた。しかし、無視させていただいた。月~金の5回シリーズで、愛媛・高知の人跡希な?県境の街をまわりつつ「中継+当日ニュース+企画ニュース」をすべて現場編集し、CS(中継車)にパソコンを持ち込み、字幕(テロップ)も送出時にのせて送出し、現場に小さな放送局をつくった。

それを可能にしたのはβカムにかえて、現場に導入したパナソニックのラップトップエディタを中心に、取材、編集システムを組んだことと、現場システムを構築したエンジニアM君の存在だった。評判を聞いて視察にきた幹部は「一般化するのはチト無理」と首を振って帰って行った。

エンジニアM君から「パソコンを使って現場でテロップをのせることは可能」と提案があった。とかく放送局には、現場に対して無線などで、意味のない「指示」を出して自分の存在をアピールしたがる方が多く、ひたすら邪魔だった。従って現場完結のミニ放送局にしてしまえば、「指示」の必要はなくなる。上を見ながら仕事をする人がいるとタイヘンなのである。

本番5分前に電源が落ちたりして冷や汗をかいたこともあったが、テロップですら1字の間違いもなくオンエアした。新しい仕事の現場を作ったと思った。放送記念日に表彰された。もっとも、現場スタッフが全員、私の意図を理解していたわけではない、編集マンは最後まで意味がわからなかったようだった。

酒もサカナもうまい松山でさらに、現場のマネージメント業に磨きをかけようと、当時発表されたばかりのDVノンリニア編集を始めた。最初はMotion Jpegだったが全く使い物にならなかった。そこで飛びついたのがCANOPUSのDVREX-M1。(約40万円した)初めて実用的なノン二リア編集が可能になった。この当時は、まだDUAL CPUを使った自作マシンは自信がなく、松山の有名なDOS/V SHOP INPUT(有限会社 インプット)に制作を依頼した。HDDまわりはすべてSCSIにした。INPUTからは久々に「気合いの入ったマシン」といわれた。このマシンで初めてDVノンリニアが仕事に使える!ことを実感した。私のパソコン自作の始まりでもあった。そして、CANOPUSとの出会いである。

③ DV(東京・八丈島シリーズ) ISDN伝送 1999年頃

しかし、さらにパワーアップ!しようとしていた松山を2年で追放され、また東京に帰った。次のステージは八丈島に目をつけた。巨大縦割り組織の中でカメラマンがワンマンプロダクションを実行するには東京から300キロ離れた舞台+デジタル技術+取材マインドが必要なのである。今回はソニーのDVカメラ(DSR-500+PD100)を使い、編集は自作のパソコンCANOPUSDVSTORM)。当日ニュース本+企画ニュースの組み合わせで毎日5分余りの3回シリーズ。企画ニュースは前日取材で夜編集、翌朝は島の話題を取材して即編集、伝送はISDN回線(384k)を使った蓄積型電送装置(VAST-S)を使って1分の映像を11分かけて送った。

(上写真)ホテルの部屋が編集ルーム、焼酎のみながら深夜まで企画ニュースを編集した。早朝は、当日ネタを取材、やはりこの部屋で編集して、午後2時頃までに完パケ。伝送した。当日ニュース1本+企画ニュース 計5分のメニューである。企画ニュースは「島で生きる女性たち」をテーマにした。

撮影、編集、送出までをワンマンで・・・という私の取材スタイルは、発想から20年後、DVの登場、パソコン、ソフトの進化で一応完成した。もっとも、こうした手法は大きな組織としてはあまり一般的ではないが、低コスト化をはかり、進化するデジタル技術にあわせて新しい仕事の現場を作っていくのはとても意味があると思う。しかし、ヒトは往々にして、自分のために汗を流す連中をより歓迎する。リスクを背負いながら新しい試みをやるヒトはそんなに増えない。市民のためにある放送局なれど、メディアを自分のモノと思っている連中がはびこって裸の王様化したり、やたら声のでかい方々が跋扈する組織にならなければ幸いである。

そして、3年前に会社をやめた。一番の理由は、3週に1回あった徹夜のニュースセンターの泊まりデスクが、2週に1回になったからである。どちらかいうと体育会系(元柔道2段なのである)で頭脳労働者などでは毛頭ないが、出勤時に買った3本のユンケルを、夕方、夜中、明け方と飲みつつ、ひたすら体力の消耗を強いられる奴隷のような仕事に意味があるとは思えなくなった。もっとましな仕事などない・・・とは思ったが、もっとましな生き方はあるかもしれない・・・と思った。長年続けた仕事だったが何の感慨もなくやめた。去年、夏、ソニーのHDVのサンプル機を手にしたとき、ちょっと早まったかなと一瞬思った。HDVで現場編集をやりたかったな。

④メール添付映像でスペシャル番組(東京) 2003年8月

そして、一昨年の夏、古巣から声がかかり、スペシャル番組を手伝うことになった。メール添付で全国からアマチュアビデオ映像を募集しようという、初の試みである。メール添付映像(フォーマットはQUICK TIEM,AVI,WMV,MEPGなど)→ノンリニア編集→HDCAMにコピーしてオンエアした。

番組は力のある各局のカメラマンが、ニホンのイマを活写するリポートを全力投球! そして私はアマビデオコーナーのコーディネートを担当した。

メール添付で寄せられた映像は800本! 初めての試みとあってファイル容量が多すぎてプロバイダのメール容量制限に引っかかったり、技術的にイマ一つだったが、将来を予感させる反響だった。それと平行して、助手のK君が南池袋のアマチュアカメラマン加藤さんと組んで深夜の東京を朝までパトロールし、朝までに事故のニュース3本を撮影、ノートパソコンで編集して送信し、ばっちりだった。上の写真で「東京25時モバイル隊」というのがそれである。 

東京モバイル隊の送信映像。編集はカノープス社のノートタイプ編集マシンCWS-30を使用。

ホットスポットが各地にあるいま、再挑戦してもいい手法ではないかと思う。しかし、撮影と取材、編集、伝送を短時間に手際よくこなせるカメラマンがどのくらいいるのか?気になりますねえ。

スタジオの片隅で、メール添付映像をデコードして編集した。使用ソフトはCANOPUSのSTORM EDIT。

使用マシンは、自作マシンを持ち込んだ。編集が終わるとマシンのアナログアウトからスキャンコンバーター経由で、HDCAMへコピー、無事オンエアされた。しかし、この時の私たちのチームは表にでない「影の軍隊」だった。関係ないけどフランスのJ・P・メルヴィルは好きな監督である。

さらに・・・HDVが登場した去年の暮れ!

⑤HDV(東京・八丈島)2004年12月 Bフレッツ

後輩からHDVを使って八丈島から中継、伝送をやりたいと連絡があり協力した。この年の9月に八丈島にBフレッツが開通したためにHDVとの組み合わせが実現した。リスクを自分で背負いながら新技術に挑戦する・・・これは大事だと思う。さて、この時使ったのは発売されたばかりのHDR-FX1とソニーより借りたVAIO Rタイプのノンリニア編集マシン。Bフレッツが開通したばかりの八丈島でIP伝送による現場編集をするなどしてオンエアした。

私はこうしたアマチュア用機材を放送現場でつかってきた。新しい技術(デジタル)を核に、フラットな現場+マネージメントの組み合わせただけである。こうした移動スタジオあるいはキャラバン形式の放送はよくおこなわれるが、平社員を管理する管理職、管理職を管理する管理職が加わってどんどん肥大化していく。つまりヒトを管理したいだけの無駄な存在を省いた結果、数十人が8人になったということである。

今までアマ用機材が放送現場であまり使われないのは、画質が悪いからではなく、内容も画質も悪いから使えないだけである。アマチュアの方々と話して感じる違和感は、そこにある。カメラがいいから作品がいいわけではない。何のために?誰に見せるのか?感性と、それを実現する技術が大事なのだ。カメラは単なるツールでしかない。10数万円で買えるハイビジョンカメラは、自称プロもどきを駆逐するきっかけになると期待している。

⑥ IP中継(~2006現在)

 

私が席を置く会社でも新しい試みとして、講座のCS(衛星)中継を試験的に行っている。有名講師による講座の映像をBフレッツ経由でCS地上局へ、各地の大型スクリーンで受講する計画である。

 

ご存じのようにCSはかなりコストがかかる。スポンサー次第である。放送局のDNAを引きずるかたは魅力があるようだが、私には魅力がない。とにかく文化的にどれだけ意味があろうと、株式会社の弊社としては、利益がでる構造でなければやる意味がない。

 そういうわけで、私の狙いはあくまで低コスト、双方向である。そうなるとインターネットプロトコルを使ったIP中継ということになる。

そこでいろいろとやってみた。BHAのXVDコーデックを使った製品が発表された時は、さっそく借りてテストしてみた。なかなかいけた。現在、このハイビジョン版が放送局などで伝送や、中継に使われている。

 ← BHA(camcast)

BHA社の新製品「Camcastシリーズ」。双方向を可能にする「XVD Camcast.cx」である。弁当箱サイズのコンパクトな筐体で、イーサーネットにつなぐだけで双方向の映像伝送が可能になる。

特徴は

① 一本のイーサーネットでビデオの双方向配信可能

② 高画質、高圧縮のXVDフォーマット採用

③ 720×480,フルモーション、フルサイズの送信可能

④ コンパクト、リモコンだけで簡単設定

こちらは、受信会場。ビットレートは2Mbpsに設定。100人くらいの会場ならまったく問題ないレベルで視聴可能である。 

使用機材は送信会場に、ソニーDSR-500、PD-170をスイッチャーで切り替えた。受信会場には小型DVカメラを設置。非常にコンパクトな中継機材で済む。

中継カメラとスイッチャー担当は、ビデオ講座を受講している皆さんで、Aカメ、Bカメ、スイッチャーとそれぞれのパートを交代しつつ何でもできるようにした。

3カメ+PC(テロップ)の4入力、まったくの素人カメラマンとスイッチャーで実用的かつ本格的な中継は可能である。

低コストをねらうためには、スイッチャーはご存じエディロール製、これでなんとかなります。

もっとクオリティをあげるには、PCなどの高画質スキャンコンバーターと、スイッチャーも、エディロールのハイビジョン対応スイッチャーがいいのではないかと思っているが、個人レベルではちょっと敷居が高い。いずれにしても、NPO的にWEB中継など考えているところである。

⑦  ハイビジョン中継(HDV) 2006年9月~

IP伝送はもはやあたりまえ、そしてHDVの普及で当然、次はハイビジョンになるのは必然である。しかし、HDVはもともとアマチュア用規格として誕生した経緯があり、放送現場で使うにはフォーマットの変換など課題もあり、業界の隙間を狙った商品の登場を待たないといけない。

そこで登場したのが音から映像へ、意表をつく機材を開発したローランドのHDVスイッチャーとマルチフォーマットアダプター! ← V-440HD(ローランド)

↑ マルチフォーマットアダプター(ローランド)

イマまであるようでなかった2製品である。HDVカメラを使い、HDVデッキ収録、あるいはHD-SDIへの信号の相互変換など自由自在。

ついにアマ用機材で放送・・・も、ハイビジョン時代に突入。初舞台は2006年9月9日、東京・明治公園で行われたイベント「BE-IN2006」。

「BE-IN」を完全生収録するために、NHK文化センターのデジタルビデオ講座受講者の皆さんがボランティアとして10名あまり参加した。

ステージが平場なのでAカメ、Bカメは高さ1.8メートルのイントレを組んだ。

いちばんステージに近いCカメ。

Bカメ。

同じくBカメ。10時間近いロングランなのでカメラマンは二人体制。

こちらは押さえ用のDカメ。

以上の4入力を、スイッチャーで切り替える。

午前9時集合でセッティングを開始。12時ごろから「BE-IN」のステージがスタート。コンサートや各種イベントをはさんで夜10時までなが~い一日の始まり。

ハイビジョンモニターは、エルグベンチャーズ製。

使用カメラはCANON XL-H1 2,SONY HVR-Z1J 2、FX1(中継用カメラ)ほかにインサート用としてA1J、FX1,HC1,HC3など。 

ハイビジョンマルチカメラをHDVデッキで収録するのは、初めての試みだったが、コンバーターが各種必要で今後の課題となった。(詳細はビデオα 11月号)。

とかく巨額のお金がかかる従来のハイビジョンにかわって、HDVをメインで使えれば大幅なコストダウンが可能になる。いろんな制約もローランドのような隙間を狙った商品の誕生で克服されつつある。ローカル局でも、各地の通信部や報道室では、HDR-HC3など10万円前後のHDVカメラで取材し、IP伝送してオンエアされるなど当たり前になりつつある。

放送関係者でも、ここ数年現場から離れていた方は、こうした現実を知らない方が多い。特に上に立つ人ほどその傾向がある.

* このあとUST中継とかいろいろやったわけですが以下次号!     そういうわけで2006年時点での内容ですが動画を添付して更新しました。

アカウミガメの旅立ち ~八丈島より~ 8月19日 [放送]

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太平洋の荒波に向かって懸命に泳ぎはじめるアカウミガメの赤ちゃんです。
ちっぽけな存在なれど、ひたむきな姿は感動を覚えます。

水中撮影の映像はすべて
八丈島のダイビングサービス「コンカラー」の田中幸太郎さん撮影です。

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デジ研の皆さんと八丈島撮影合宿に訪れたのは8月19日。
さっそく海岸でアカウミガメのふ化に遭遇しました。

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このアカウミガメは、今年6月8日、底土海岸の砂浜で産卵しました。
この砂浜は護岸工事のため、ウミガメの産卵には適していません。
実に6年ぶりの産卵になりました。

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アカウミガメの久しぶりの産卵は、島の人たちには明るいニュースになり手厚く保護されてきました。
しかし、予定日をすぎてもいっこうに生まれる気配がなく、都庁、町の関係者が調査しました。

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ばっちり、赤ちゃん亀がふ化し始めたところでした。

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手足をばたつかせながら海へ向かいます。
がんばってぇ~という声援が飛び交っていました。

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体長わずか5㎝あまり、大波にゆられながらひたすら南の海へ~

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八丈のダイビングサービス「コンカラー」チームが待ち構えてキヤノンEOS 5DmarkⅢで動画撮影。

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夕焼けの空を背景にふるさとを力強い泳ぎでふるさとを目指していました。

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水中映像を初め、島の人たちが撮影、デジ研メンバーが撮影した映像をまとめて、NHK首都圏ネットワークでオンエアすることになり、さっそく編集開始! 
編集ソフトがなかったのでEDIUS NEO3体験版をダウンロードしました。
八丈島からの伝送は以前にもやったことがありましたが、残念なことに伝送はSD、しかも圧縮がかかる緊急報道用の回線だったので画質がボロボロ、オンエア映像されたものの見るに堪えない哀しいレベル・・。

そんなわけで、同じモノをYoutubeにアップしました。
こちらはもちろんハイビジョン画質です。



さて、このアカウミガメの産卵ですが、昨日(22日)も数匹がふ化して旅立ったようです。

撮影は
● 八丈島の皆さん ● Project Wave ● コンカラー 田中幸太郎(水中映像) ● 青山デジ研
編集は
● hamapro

報道カメラマン時代の八丈島取材と編集は、こちら~ 。

速報! ただいまUST生中継中~「世界舞踊祭」 from 赤坂 [放送]

突然ですがただいまUSTREAM生中継中です。(午後8時頃まで)

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● 世界舞踊祭り2012 (赤坂区民センターホール)

■ 昼の部 午後1時~

■ 夜の部 午後5時30分~

 ごらんになりたい方はUSTRAEM→番組検索「世界舞踊祭」または「hamapro]

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今年で10回目を迎えた世界舞踊祭は、10年で世界100カ国の踊りを上演するイベントです。

昨年に続いて青山デジ研が撮影することになりましたが、去年と同じでは進歩がない・・・というわけで、今年はUSTREAMで生中継することになりました。テストも何もないぶっつけ本番です。

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スイッチャーはタイムリーな機材として飛ぶように売れているらしいローランドVR-3。

セッティングはめちゃ簡単です。カメラ4台を接続し、スイッチングするだけ。

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八丈島の「樫立踊り保存会」の踊りもばっちり放送されました。

ちょっと贅沢なカメラ4台のスイッチングです。

このあと夜の部が、17時半からスタートします。

トップは「エチオピア民族舞踊」、コリア舞踊、イサドラ・ンカン・ダンスや、午前中に引き続き「八丈島の踊りと太鼓」も再演されます。お近くの方は、会場の赤坂区民ホールへ。遠くの方は「UST」生中継で!


辞めるけど辞めたくない [放送]

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昨夜から今朝にかけてもっぱら話題は、もっぱら空き缶~いやダメ菅首相の去就・・。

夕方、鳩山さんに説得されて「まもなくワタシ辞めます」、日本沈没回避への第一歩と祝杯。

ふーむ、今月いっぱいでオシマイなのねと思っていたら、深夜の会見で「すぐ辞めるとはいっていない」。

人徳も能力もないリーダーが辞めると公言したら、その時点から機能不全なんだけど、「ボク、辞めたくないもんね」とまるでお子ちゃまですね。

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そんなワケで・・・

朝の各局のニュースをとっかえひっかえ見ていたら、いずこも同様あらかじめ台本が決まっているらしく、世論誘導の姿勢が見え見え。都合のいいインタビューだけをつないで流したり、盛り上がらなくなるとすぐに「下司のかんぐり」から、神の目線「被災者の立場」まで持ち出すなどまさにマスゴミ世界。

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↑ 人気ブログ「ラ・ターシュに魅せられて」のイラストより~ [るんるん]

あの麻生さんもアホ・まぬけ、福岡の恥・・・とかそれはもーボロクソだったけど「ペテン師」と言われたことはなかったもんね。(地元後援会幹部談)。

思えば元報道カメラマンが一時在籍した青山の会社もペテン師のようなリーダーが跋扈してました。絶対に利益が望めない動画配信ビジネスを始めたものの巨額赤字を出して撤退。しかし、誰も責任をとらないまま幹部はしっかり嘱託でいすわっているような、ま~そんな方々です。取り巻きのイエスマンの話しか聞かないのでつまるところ裸の王様、欠陥湯沸かし器の如く毒ガスを振りまいてやっていける楽しい会社なのです。いまでも昼飯時、ご一行様が金魚の糞のようにつながっている姿を目撃します。アキ菅みたいな資質のリーダーは日本のあちこちでまだまだ元気なのであります。

20100618150731696.jpg「ラ・ターシュに魅せられて」のイラストより~ [るんるん]

ところで「鳩のお使い」に立ったのがこの方、鳩山さんです。

返済期限の記入されていない借用書を持ち帰り「ペテンだ、だまされた~」という羽目に。

政治家の仁義として細かいことは書かないのが「確認」らしいんですけどね、ペテン師を相手にする時は、録音しておくとか手を打っておかないとこの世界では生きていけません。やっぱしお坊ちゃまなんですかね。ちょっとツメが甘いというか人がいいんでしょうか。私も例の会社にいたとき、あんまりトンデモないのでハイテクを駆使?する元報道カメラマンとしてはドキュメンタリーのつもりでしっかり映像と音で記録していました。イマ見てもけっこう楽しめます。


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