ボクはむかし、兼業農家だった [農業]
「水田に産廃」取材は一種の調査報道みたいなものである。自分の目で観察し、仮説を組み立て、それに従って取材するしかないわけで、警察発表垂れ流しあるいは政治権力すりより記者にはなりたくてもなれない・・・。なにしろ水田に記者クラブはないからである。
そこで、自分でコメつくりをしながら、農業取材をやろうと思った。
山形の3年間、市内飯田の前田さんの田んぼを借りて米を作ることにした。
アパートの庭で種籾から苗を育てた。加温なしで冷え込みのまだ厳しい山形でも苗はたくましく育った。
このあたりでも連休に田植えをするのが一般的だが、6月はじめに田植えをした。人の都合より、稲の都合を優先するとずらしたほうがいいのだ。
家族で田植えをした。下の娘はこのころ幼稚園、いまは高2である。
山形でのコメ作りは、松山に転勤するまでの3年間行った。3年目は、不耕起直まきに挑戦した。しかし、雑草の展覧会のようになって、見事に失敗した。欲をかくといけないのである。
米つくりしながら、米と農業の取材を重ねるなかでわかったことは、農業についての報道は、農政・行政サイドからの一方的な発表に基づく、垂れ流し報道が多いことである。
仙台、山形でのコメと農業取材、そしてコメつくりを通じて、いろんな方を取材させていただいた。毎年、忘年会は、そうした方々が一同に集まる。
先日も、遅ればせながら宮城・松島の会場にかけつけ、なんとか乾杯に間に合いました来年は、東京でやる予定です。
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