島流し撮影記 初日 [八丈島]
八丈島にきています。
このところ矢鱈に雨降りの天気が多いのはご承知のとおり、さらに八丈島は3日のうち一日は必ず・・・といわれるくらい雨の多い島です。
羽田のエプロンも雨に煙っていました。10:30発のヒコーキが天候調査待ちなどで結局、離陸したのは11時近く・・・・。雲の中を飛んでいきましたが、機内アナウンスは「悪天候のため、島の上空で引き返すこともあります~♪」
雲の切れ間からなんとか着陸しました。
不安漂う機内から、着陸の瞬間、拍手がおきました。
今回は同行7人、サムライならぬ美女とおじさんたちであります。
ご案内はご存じ八丈島の「プロジェクトウェーブ」にお願いしました。
雨だったので、植物園へ~
ビデオカメラはもちろん、全員がハイビジョンカメラ、HC1とHC3です。
夜のお食事も、もちろん八丈のディープな居酒屋「でこでこ」です。
美女がいるとつい、島焼酎をあけるピッチもハイスピード・・・・
今宵のディナーは、とれたての地場ものばかり、味がぜんぜん違います。
そこへ、「でこでこ」の大将・喜田さんが、家系図を見せてくれました。
八丈は流人の島ですが、かつて天下分け目の関ヶ原の戦いで敗れた西軍の将、宇喜多秀家が流された島でもあります。つまり、喜田さんは、宇喜多秀家から10何代目かの子孫なのです。
【平凡社大百科より】
宇喜多秀家 1572-1655
桃山時代の大名。直家の子。八郎,備前宰相,後に休復と号す。直家死後,1582年(天正10)に備前,美作を相続。豊臣秀吉麾下(きか)として,四国征伐,九州征伐,小田原征伐に従軍。秀吉の養女で前田利家の女豪姫と結婚した。92‐98年(文禄1‐慶長3)の朝鮮出兵に際しては2度にわたり渡海。備前,美作,備中半国,播磨3郡の57万石余を領し,城下町岡山の建設,児島湾の新田開発,太閤検地の実施など領国支配の進展につとめた。秀吉の死後,五大老の一人として重きをなしたが,有力家臣の内紛によって,宇喜多左京(後の坂崎出羽守),戸川,岡,花房など譜代家臣の主だったものを失った。1600年の関ヶ原の戦では,石田三成に擁立され西軍の中心となって大敗。醍摩の島津氏のもとにかくまわれ,03年島津氏の助命嘆願により死を免れ,06年伊豆八丈島へ流罪となる。在島50年にして没した。
ルーツも定かならぬ我々からみると、うらやましい喜田さんの出自であります。
かなり酩酊したあと、部屋で撮影をすることにしました。
今回、持参の新兵器はコマ撮り装置です。
ハイビスカスは、早朝咲いて翌日には、ポトリ?と大輪の花を惜しげもなく散らしてしまう、文字通り「花の命は短くして・・・」なのです。
コマ撮り装置は、ユニークな商品で知られるゼクーのXRT-1。HC1やHC3を使ってハイビジョン画質のコマ撮りを可能にします。
HDVはフレーム間圧縮なのでテープへのHDVへのコマ撮りは困難ですが、メモリースティックに記録することで可能にしています。
↑ つぼみがふくらみ始めると逆に、開いた花がしぼみ始めます。新旧交代が非常にわかりやすいですね。
XRT-1の設定は非常に簡単です。いろんなモードで、コマ撮りやインターバル撮影を可能にしてくれます。
メモリースティックの画像をVAIOタイプSに読み込んで動画化します。簡単に、命短しハイビスカスの一生のハイビジョンムービーが完成しました。
さて、八丈島はきょうも雨~♪
島寿司がいっぱい!!!と、騒ぎながら読ませてもらいました。
コマ撮りって、ちゃんと専用の機器があるんですね。ハイビスカスの新旧交代が面白いです。
by わだ (2006-05-28 14:02)
きのうボクちゃん、さよなら~ ♪てなぐあいに毎日、生まれ変われるといいですね。島から持ち帰ったハイビスカスの次の花が咲くのが楽しみです。こんどは、ばっちりコマ撮りです。
by hamapro (2006-06-01 11:08)