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薩摩の夜は更けて~ [撮影]

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大雪で震え上がった東京を脱出、鹿児島は暖かく快晴~。

けさは南州墓地へ。西南戦争で西郷隆盛に殉じた一門がまつられています。

この中に西南戦争で西郷軍に加わり戦死した二人の庄内藩士(鶴岡)の墓があります。 

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墓石には羽前国庄内人と刻まれています。

戊辰戦争当時、庄内藩は幕府側で官軍側と戦いましたが、腰砕け幕軍の中では唯一、最後まで負けを知らなかったと伝えられています。理由は、豪商本間家の援助で最新式の連発銃も装備していたうえに、藤沢周平の小説の登場人物のように秘剣?の剣豪も多かった・・・(想像ですけどね)。ついに領内への侵入を許さないまま官軍と講和。過酷な運命が待ち構えていた会津藩と違って、庄内藩は西郷隆盛の助力で寛大な措置ですんだことから庄内でも西郷隆盛は敬愛されています。ボクは下関(長州)なんですが、同居人が鶴岡なのでいちど墓参りしてみたかったわけです。

庄内から西南戦争に加わり戦死した二人は享年18歳と20歳。

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南州墓地の広場では薬丸自顕流の稽古が行われていました。

薩摩では示現流が有名ですが、こちらの自顕流はもっぱら下級武士に伝わる流派で、維新で活躍した薩摩出身の元勲たちは元々は下級武士が多かったので自顕流を修行した方々が多いのです。

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西郷隆盛の側近で自顕流の使い手でもあった、桐野利明の墓です。

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午後から鹿児島大学で行われたシンポジウムの撮影です。

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地元の方々にも参加してもらって撮影実習をかねての収録です。

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ワタシはもっぱらリモコンカメラで全体のカバー・・。

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 いろいろアクシデントはありましたが、そこをカバーするのがワタシの役目です。

ワイヤレスHDMI伝送しましたが90メートル伝送OKのBOLTがまた不調で、バックパップに持参したSKYWAVEに変更しました。BOLTは購入直後にも送信機内部が破損したようで修理しました。どうやらハズレなのかな。

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夜は参加メンバー宅で撮影映像のチェック。甑島産の焼酎、もちろん初めてお会いしました。

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そんなわけで薩摩美人を囲んで深夜までもりあがりました。


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