帰ってきた仙台市民のシンボル [自然]
「仙台のブナ林と水・自然を守る会」から会報が届きました。かつてゼネコンに売られてしまった仙台のシンボル=泉ケ岳の山頂部分が買い戻され、仙台市民の山にもどったというのが・・・トップのタイトルです。(2006年7月25日発行)
仙台市民のシンボル泉ケ岳の山頂部分が、地元のゼネコン(巨大観音像そばの会社)に買い取られたのは1991年。これに対して、宮城県内の自然保護団体のねばり強い運動を繰り広げた結果、ついに仙台市が、今年15年ぶりに、買い戻したというわけです。
当時の宮城県は、政治と胡散臭い連中が開発の名のもとに結託して跋扈していた時代で、1993年7月に仙台市長逮捕、9月には県知事まで逮捕され、不名誉極まりないことで仙台の名前を日本中に轟かせました。
その少し前、東京から仙台に転勤した私は東北の自然と農業ををめぐる一連の問題をリポートしました。
それはある日、仙台市内で↑の庄司幸助さんに遭遇したのは始まりです。
仙台のブナ林と水・自然を守る会」の代表世話人だった庄司さんを先生に、酒場と東北の山々を往復する取材が始まったというわけです。元衆議院議員の庄司さんを運転手!に(私は免許がない・・・)、何しろ庄司さんが林道をぶっとばすので助手席で体を縮めながら、東北各地を行脚しました。
当時、泉ケ岳山頂買収事件とならんで、各自然保護団体が力をいれていたのが船形山(山形では御所山とよぶ)のブナ林を守る運動です。
ブナ原生林に囲まれた船形山の宝石と呼ばれる猩々池(しょうじょういけ)がその舞台です。
当時、周辺に林道が計画され、ブナ原生林の伐採が予定され危機が迫っていた猩々池周辺の自然も、幅広い市民運動の結果、今では周辺の2500ヘクタールが不抜化されました。
自然や野鳥保護などの運動はしばしば偏狭な地域限定に陥りやすい傾向がありますが、庄司さんたちの運動は、東北全体を視野においた各団体の緩やかな連帯と、市民運動の広がりを持たせたところが、成功の要因であったと推察します。
仙台のブナ林と水・自然を守る会」の運動は、いま原生林からの水がたどり着く里山の保全運動に力をいれています。季節毎に自然を親しむイベントも行っていますので、関心のある方はお問い合わせを!
泉ケ岳の山頂の運命については、すっかり忘れていましたが、ついに長年の運動を功を奏して仙台市が買い戻す羽目になった記事みて、当時の思い出がよみがえりました。
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