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駒ノ湯の思い出 [自然]

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穏やかな晩秋、駒ノ湯の朝です。

岩手、宮城内陸地震からまもなく一ヶ月を迎えます。

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栗駒山登山道入り口の駐車場付近からみた雲海

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雲海から上る朝日

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改装した頃の駒ノ湯の玄関

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温泉の裏はすぐにブナ林、その間に川がありました。

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硫黄の香りが漂う温泉は、24時間掛け流しで、いい温泉でした。

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中央がなくなられた菅原孝夫さんです。

この時、久しぶりの再会だったので、私が肩もみしているところです。

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菅原孝夫さん。

私のブログを見たからでしょうか、読売新聞から駒ノ湯関係の写真はありませんか?という問い合わせがありました。私も、むかし顔写真集めに苦労したことがあって、とりあえず何枚かの写真を見つけました。

災害が奪うのは命だけではありません。思い出や記録、暮らしまですべて押し流してしまいます。

お世話になった栗駒の映像を、時間ができたら整理してみようかなと思います。


栗駒温泉 [自然]

岩手・宮城内陸地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

被害にあった駒ノ湯は、仙台、山形に勤務していた1990年代は、殆ど毎月のようにでかけて取材などでよくお世話になっていました。

当時は、おりから盛り上りつつあった東北のブナ原生林などを

伐採から守る自然保護運動が盛り上がった時期で

私は、駒ノ湯をベースに東北各地の自然を取材していました。

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1992年初夏、「栗駒の自然を守る会」の方々と

栗駒山頂を目指しました。

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こんどの地震で山の形なども変わったんでしょうか・・・・

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高山植物を撮影しました。

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栗駒のブナ林で開かれていた「かんじきツアー」

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栗駒の自然を守る会が、「駒ノ湯」の協力で実施した厳冬期のイベントです。

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                          (撮影 庄司幸介さん)

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1994年6月、私の転勤による送別会も、自然保護団体の呼びかけで駒ノ湯で開かれました。

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ビクターVHS-Cカメラで撮影しているのは

元国会議員の庄司幸介さんです。庄司さんはボクのビデオの弟子なのです。

庄司さんは駒ノ湯の大ファンで、温泉につかりつつ飲んだものです。

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中央の方が今回の土石流で亡くなった菅原孝夫さん・・・。

駒ノ湯のすぐ後ろにはブナ林が広がっていました。

湯につかりながら移り変わるブナ林の四季を見ながら過ごした日々を思い出します。

みなさんのご冥福と、不明者の救出、駒ノ湯復活をお祈りいたします。


庄司家のとろろ汁 [自然]

仙台のとろろ汁を知っていますか?

昨日の日曜日、仙台へ行って参りました。毎年の正月のいちばん大事な行事です。

仙台市宮城野区の庄司家では、20年前から郷土料理の「とろろ汁」で新年会を開いています。

とろろ汁は日本独特の料理として全国各地に伝わっていますが、庄司家のとろろは、こだわりの正当派ナンバーワンといってもいいでしょう。

とろろ汁の準備は、去年の夏から始まりました。奥羽産地のブナ林がもたらす肥沃な山中に自生している自然薯を掘り出すのは、大変な作業です。

この贅沢さ、そして沢山のヒトが作り上げるとろろ汁が、実はこの郷土料理の本質的なもの・・・つまり心の部分です。

すり下ろし作業は何時間もかかります。

仙台湾のハゼの出汁でとった味噌汁の上澄みで、とろろを薄めていきます。

庄司家のとろろ汁は、大事な新年の行事ですので、酒飲みと平行して作業が進み、どの時点で味噌汁を投入するか・・・・?

庄司さんの采配を仰ぎながら進みます。

とろろ汁を復活させた庄司幸助さんは、元国会議員で引退後は、東北のブナ林、自然保護運動のリーダーとして活躍してきた方です。

参加者の方はほとんどが、長年、広い視野で自然保護運動に取り組んできた仙台のブナ林と水、自然を守る会の方々です。

とろろがこんな感じになると、OK!

 

写真 右は、「ほや」です。私は苦手です。

銘酒「越乃寒梅」を差し入れてくれたのは、八王子ビデオクラブの岡山さんです。( 写真の方は、事務局の秋田さん)

麦ご飯の上に、とろろ汁をかけ、ネギ、サケ、筋子などのトッピングをのせます。

しばし無言で・・・、とろろ汁をすする音だけ・・・です。

とろろ汁と銘酒で、ふか~い満足感にひたったところで、元会長で弁護士の高橋さんがハーモニカの演奏 ♪

しばし、プロ並みの演奏に聴き惚れましたが、とろろと酒そして、「ふるさと」のメロディーが心と体にしみこんでいきます。

東北の自然保護運動の取り組みは、各地の自然保護団体の活躍で大きな成果をあげた後、いま奥山から里山へと視点を移しながら、世代を旧世代から若手へとしっかり継承されているわけです。 


帰ってきた仙台市民のシンボル [自然]

仙台のブナ林と水・自然を守る会」から会報が届きました。かつてゼネコンに売られてしまった仙台のシンボル=泉ケ岳の山頂部分が買い戻され、仙台市民の山にもどったというのが・・・トップのタイトルです。(2006年7月25日発行)

仙台市民のシンボル泉ケ岳の山頂部分が、地元のゼネコン(巨大観音像そばの会社)に買い取られたのは1991年。これに対して、宮城県内の自然保護団体のねばり強い運動を繰り広げた結果、ついに仙台市が、今年15年ぶりに、買い戻したというわけです。

当時の宮城県は、政治と胡散臭い連中が開発の名のもとに結託して跋扈していた時代で、1993年7月に仙台市長逮捕、9月には県知事まで逮捕され、不名誉極まりないことで仙台の名前を日本中に轟かせました。

その少し前、東京から仙台に転勤した私は東北の自然と農業ををめぐる一連の問題をリポートしました。

それはある日、仙台市内で↑の庄司幸助さんに遭遇したのは始まりです。

仙台のブナ林と水・自然を守る会」の代表世話人だった庄司さんを先生に、酒場と東北の山々を往復する取材が始まったというわけです。元衆議院議員の庄司さんを運転手!に(私は免許がない・・・)、何しろ庄司さんが林道をぶっとばすので助手席で体を縮めながら、東北各地を行脚しました。

当時、泉ケ岳山頂買収事件とならんで、各自然保護団体が力をいれていたのが船形山(山形では御所山とよぶ)のブナ林を守る運動です。

ブナ原生林に囲まれた船形山の宝石と呼ばれる猩々池(しょうじょういけ)がその舞台です。

当時、周辺に林道が計画され、ブナ原生林の伐採が予定され危機が迫っていた猩々池周辺の自然も、幅広い市民運動の結果、今では周辺の2500ヘクタールが不抜化されました。

自然や野鳥保護などの運動はしばしば偏狭な地域限定に陥りやすい傾向がありますが、庄司さんたちの運動は、東北全体を視野においた各団体の緩やかな連帯と、市民運動の広がりを持たせたところが、成功の要因であったと推察します。

仙台のブナ林と水・自然を守る会」の運動は、いま原生林からの水がたどり着く里山の保全運動に力をいれています。季節毎に自然を親しむイベントも行っていますので、関心のある方はお問い合わせを!

泉ケ岳の山頂の運命については、すっかり忘れていましたが、ついに長年の運動を功を奏して仙台市が買い戻す羽目になった記事みて、当時の思い出がよみがえりました。


ゴロンドリーナ(つばめ) [自然]

昨夜、はじめて「ツバメ」を見ました。

武蔵小杉駅近くのスーパーの屋根に鳥がいました。よ~く見るとツバメ!

ここがツバメのお宿。

いまどきの都会はツバメにも住みにくいのです。。住宅難なのです。すぐ近くのビルの一階に毎年やってきます。

すぐ上の天井には、防犯灯があかあかと一晩中ついています。劣悪環境の仲でまもなく子育てが始まるのです。

ツバメといえば、サム・ペキンバー監督の傑作「ワイルドバンチ」を思い出します。

死を覚悟したパイクさまご一行がメキシコの村を後にするシーンとエンディングでも流れていたメキシコ民謡の「ザ・ゴロンドリーナ」(ツバメ)を思い出します。(記憶に間違いがなければ・・・)

ツバメのお宿の下には、手作りのトイレがつくってありました。

そういうわけで、昨夜は「ワイルドバンチ」のDVDをひっぱりだし、朝まで見てしまいました。

過酷な環境の中で生きている都会のゴロンドリーナたち、頑張れ!であります。

* 写真は、HC3で撮影後、テープからメモリースティックにキャプチャーしたものです。


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