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UFO [放送]

いわゆるUFO(未確認飛行物体)つまり空に見える不思議なモノは、古来よりその正体について諸説紛々。ほとんどは科学と宗教、あるいは妄想との谷間に存在するものと見られているが、ぜったいに見た!、あるいは存在する!と信じているひともかなりいる。

今年はじめ、UFOについてのビッグニュースが世界を駆けめぐった。フランス国立宇宙研究センター(CNES)が、過去53年間にわたって集積された未確認飛行物体(UFO)の目撃情報1600件以上をウェブサイト上で一般公開したニュースというもの。 国立の宇宙研究機関によるUFO情報の公開は世界初。 1954年から蓄積された膨大な情報の約4分の1は「信頼に足るデータや証言」だそうである。

それよりまえ、イギリスは国防省の見解として、「UFOが宇宙人の乗り物」という意味では、その存在を完全に否定している。→ http://x51.org/x/06/05/0838.php

英仏海峡をはさんでフランスとイギリスは、正反対の意見である。もっとも両国は歴史的には、ドラマ「炎の英雄シャープ・シリーズ」をご覧になるとわかるように、少し前まではしょっちゅう戦争していたので、イギリスがUFOは存在しない!といえば、フランス人は、たしかに、そこにある!といいたいわけだ。

そのフランス国立宇宙研究センターのWEBで公開されている映像のひとつ

→ http://www.ufoevidence.org/cases/case601.htm

リポーターの上空にUFOらしきモノがフラフラと飛んでいき、周辺は騒然となっているが、TVリポーター氏はポケットに手を突っ込んでリポートしており????てな感じ。そんなリポーターは珍しい!たぶん、やらせに近いものではないかと思う。

さて、私が報道カメラマンをしていいたなが~い歳月の間に、自分自身は目撃したことはないが、取材をしたことは何度かある。

その①1970年頃、山陰の某局でカメラマンしていたころ、岡山県境の氷ノ山の山頂付近を奇妙なモノが飛び回っているという連絡が入り急行した。現場まで1時間。到着前にそのUFOは消えてしまっていたが子どもの書いたスケッチと、父親が撮影した35ミリネガフィルムがあった。スケッチによるとレンズ型の物体でライトが点滅している様子が描かれていた。フィルムの映像は小さく映っているだけだったが、畳1枚ほどに引き延ばすとスケッチを裏付けるようなものが確かに移っていた。(ローカルニュースで放送した)

その②、それから正確に1年後、また同じモノが同じ場所を飛び回っているという連絡があった。しかし、途中で消えた。

その③、20年近く前、東京でカメラマンしていたとき、練馬に住んでおられる方を取材した。脱サラで立ち上げた店舗の地鎮祭をやっていた夕刻、上空を巨大なブーメランのようなモノが関越道に向かって音もなく飛んでいた。翼にはノズルがあり青白い排気炎がいくつも見えたらしい。それから10年、その正体を知りたくてビデオカメラなどで毎日、朝まで空を撮影した・・・、私が取材に訪れたのはその10年目のことである。

首都圏のローカル企画としてリポートしたが、当時の上司からは、「ゼッタイにUFOというフレーズを使ってはならない」と厳命されていたので、空に不思議なモノを追いかけて10年!という紹介になった。

いずれにしても、UFOの正体は何なのかよくわからないが、不思議なものは面白い。死ぬまでには、ばっちりHDV画質で撮影したいものである。

きょう、You Tubeを見たらおもしろいモノがアップされていた。どう解釈するか不明だけど、これぞUFO=未確認飛行物体! http://www.youtube.com/watch?v=k5W3buftf9o

 

 

 


アキバでハイビジョン生中継 [放送]

秋葉原・東京アニメセンター5Fの3Dシアターで、HDVマルチカメラによるハイビジョン生中継を行いました。

ローランドのビデオコンテスト表彰式です。

NHK文化センター青山教室・デジタルビデオ講座の皆さんが中心です。

会場の東京アニメセンターです。

午前9時、機材搬入。

ローランドのハイビジョンスイッチャーV-440HDにHDVカメラを接続します。

3Dシアターそばのコントロールルーム。機材とケーブルで足の踏み場もありません。

モニターは、毎度おなじみのエルグベンチャーズのHDVモニター HDM-EV85

HDM-EV85は、去年9月のHDV中継より、V-440HDとの組み合わせで使っています。コスト的にも最適の組み合わせであると思います。現在までのところ、トラブルは全くありません。モニターでお悩みの方は、検討してみてください。

HDVへの収録は、ソニーのHDVデッキ。

組み立て後、さっそくテスト、緊張する一瞬です。すべてのカメラの映像がモニターに浮かびまずはOK!

会場後部のAカメです。

使用カメラはキヤノンG1 3台、ソニー Z1J 1台の計 4台です。いずれもコンポーネントアウトをスイッチャーに入力します。

担当カメラマンは、前回の経験者をメインにして、後半で初心者チームに交代、小林TDのインカムで指示で画角を決め、順調に収録は終わりました。

司会者席の前でホワイトバランスをとりました。

音声周りで、ちょっとしたトラブルもありましたが、なんとか収録できました。

手前でV-440HDを使っているのは、ローランドのスタッフの方です。コンテストの入賞作品の送り出しなども担当しています。

中継映像は、ホワイエの大型液晶TVなどに送られましたが、さすがハイビジョン!これまでにないクリアな映像を届けていました。

この日、初めて中継カメラを担当した方も半分いましたが、マルチカメラ中継はむしろ簡単です。誰でもハイビジョン中継できる時代がきたことを実感します。

午前8時スタート、午後6時撤収。素人ながら数回の中継を重ねた方もいて、デジタルビデオ講座の実習をかねた今回のミッションも無事、終了。

映像周辺の腕をあげるには、ひたすら現場を踏んで体験を積み、からだで覚えるしかありません。ビデオは耳の学問ではなく、現場の経験が大事です。 


グッドナイト&グッドラック [放送]

9日(土)、NHKユーカリが丘 デジタル映像塾と、青山教室のデジタルビデオ講座のみなさんです。

紅葉が見頃になった、千葉・養老渓谷の撮影会をユーカリが丘、青山教室合同で行いました。

青山教室の皆さんは、午前8時、青山ツインビル B3駐車場を出発。片道2時間半かかります。

雨の日の撮影は防水が肝心です。ビニールの袋でカメラ全体をつつみ袋の開口部をビニールテープでとじます。そして、カメラの操作は袋の上から行います。これで豪雨でも大丈夫です。

参加者は21名。

上から下、カメラの防水対策はばっちり。

ユーカリが丘教室のみなさんはベテラン揃いです。決まっています。

雨がやまないので、早々に切り上げ、旅館 天竜荘で「反省会」です。

総勢21名。

持参したプロジェクターでデッキ代わりにFX7でアナログ再生、養老渓谷の映像を見ました。

この日、初めて顔をあわせた方も多かったのですが、話題は共通のビデオ、話がはずみます。

夕方6時、FX7を道連れに羽田空港へ。

福岡行きのANA295便は、空席がめだちました。

VAIO タイプSで映画を見ることにしました。

映画は、放送界の良心といわれたアメリカCBSのニュースキャスターエド・マーローを描いた映画「グッドナイト&グッドラック」です。

日本ではトークマシンのようなアナウンサーをキャスターと呼んでいますが、ジャーナリズムの世界では時には権力に立ち向かう勇気と能力を持つ人のことをいいます。

かつて私がカメラマンとして働いた放送局では「不偏不党、公正中立」を旗印に掲げていましたが、それは幻想というかお題目以上ではなかったような気がします。

「取材者は出来事の両面を記せ、記録との矛盾点をつけ、民主主義では、人々は知るだけでなく、理解することも大切だ」


海外で空撮そして危険度 [放送]

取材のため海外でも空撮をすることがある。

1986年、アフリカ中西部の国カメルーンのニオス湖から、有毒ガスが噴出し、麓にある村の住民1700人以上が死亡した。(戸籍がないので正確な死者は不明)。

「ちょっ遠いけど行ってくれる?」。

「いいですよ~」と答えたら、行き先はアフリカだった。

午後10時、まさかアフリカ?を告げられ 120キロの機材をまとめて夜が明け、翌朝6時に迎えがきて成田へ向かった。

黄熱病とマラリアの予防注射を成田で打った。医者は「抗体ができるまでに1週間かかりまっせ」と笑われた。

地球を半周して疲れ果てて到着すると、赤茶けた大地にヒマそうな兵隊がいてソニーのラジオを聞いていた。(左端の兵隊さん)

運良くフランス製のヘリにのせてもらうことができた。機内の会話もフランス語なのだ。

この時ほど、ヘリが頼もしくみえたことはなかった。なにしろ民間航空など存在しない国でヘリを調達するのは極めて困難だからである。

しかし、現在の海外でのへり空撮の基準では、こうしたフライトは安全面から許されないかもしれない。機体はKH4でエンジンは単発、東京の許可を得ることなく現場判断だけでやったからである。

緑濃いいかにものどかなこの村では、住民が全員死亡した。

しーんと静まりかえった村。

小鳥も歌わず、ミツバチの羽音も聞こえない・・・、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を思い出させた。

死者を埋葬した土盛りがあちこちにあった。消毒用の石灰が散布してあった。

死者の国に迷い込んだような気がした。

その数年後、チェルノブイリを取材した時もそんな感じがした。

プリヤビチの住宅団地にある小さな公園の観覧車が、カランカランと風に揺れ、静かな恐怖を感じた。半径30キロが危険地帯(ゾーン)とされ立ち入り禁止だったが、日本を出るとき、「もう安全!」と上役にいわれ、はるばるでかけたわけだ。彼はKGBの「もぐら」だったのかもしれない。

しかし、「ゾーン」の中では、ガイガーカウンターがレンジを最大にあげても針は最大に張り付き、放射能を検地するフィルムバッジは、わずか数十分で1年分の放射能!と告げていた。同行したロシア人スタッフ曰く「日本人は勇気がある」。彼らは、車から降りてこなかった。

結局、チェルノブイリの安全宣言とは「死の灰で汚染された表土の上に、数センチの土でおおった」ものに過ぎず、依然として放射能は大気中にまきちらしていたわけだ。

タルコフスキーの映画「ストーカー」を思い出した。チェルノブイリ原発事故は監督の晩年に起きた。共産主義と芸術はしばしば相容れず、監督の制作状況は恵まれていなかったようだ。

原発周辺にカメラを向けるとしばしば「撮ってはダメ!」と拒否された。その都度、「ゴルバチョフ!」「ペレストロイカ!」と叫ぶと、彼らはずずっと数歩後退しその隙にカメラを回した。結構マンガチックだけど本当の話である。

あの映画の中に登場する「ゾーン」は、そのままチェルノブイリ原発事故の「ゾーン」をイメージさせる。監督もそういうつもりだったらしい。

チェルノブイリの監視を勤める人々は自らを「ストーカー」と呼んでいるそうで、監督自身も、「ストーカー」のロケをひどく汚染された化学工場跡で行ったために健康を害して亡くなったらしい。

ボクも大量の放射能を浴びたと思われるあれ以来、呼吸器系の調子があまり良くない。アルコールで頻繁に消毒してるけど、追いつかないようだ。イマなら組合で(まだ組合があるのなら)問題になるけど、世界初の被爆国の認識はそんなもんだった。

カメラマンの死因はヘリの墜落だけではないかも・・・ね。


無人へりで空撮 [放送]

実機による空撮にふれたが、やはり無線操縦の無人ヘリによる空撮は、避けて通れない! 個人的な思い入れもこめて取り組んできた歴史があるからである。

無人へり(ラジコン操縦)を使った空撮の開発が始まったのは約10年前。

それよりも前、無人ヘリを使った農薬空中散布の話題を、「経済マガジン」という番組でリポートしたことがあって、メーカーから今度は、空撮用に開発したいので協力を・・・という話しが来たのがきっかけだった。

ヤマハ発動機製の無人ヘリ(250CCエンジン)に、DVカメラを搭載し、無線操縦で機体とカメラをコントロールする。この時のカメラはソニー VX-2100.

VX-2100で撮影した映像は、FPU送信機でスキッド(足)に取り付けた回転アンテナから送信する。

テスト中の機体を上空から撮影した。

機体にはFPU送信機が取り付けられており、地上で受信する。

受信した映像を中継車で受け、さらにCS地上局から全国に放送される。

こうした手法で、養老渓谷の秋など、朝のニュース番組で全国放送した。

この時はまだ自動追尾ではなかったのでへりの方向にパラボラアンテナを向け手動で映像を受信していた。

歳月、人を待たず・・・。ボクもイマより少し若い。

これはヤマハが開発したGPS装備の空撮へり。

大きな被害を出した北海道・有珠山のデータを空中から収集し、有名になった。

GPSを装備し地上データと照合しながら、視界外での操縦を可能にした。

さて、私が担当する空撮用無人ヘリの開発は、広島の世界的なRCへりメーカーであるヒロボー(株)といっしょに、鳥取砂丘でのテストなど、いろんな状況でテストを重ね、実用レベルにもっていった。

八丈島沖の無人島、八丈小島で小型機を持ち込んだ。この時の様子は「八丈島の春 空撮シリーズ」として首都圏ネットワークで3回シリーズで放送した。

この時つかったのは、メーカーが独自に開発した小型機。エンジンは50CC。

 

カメラは、CANON XL1を使った。

そしてソニーからHDR-FX1が登場した2年前、ついに搭載カメラはハイビジョンになった。

無人ヘリによる空撮のおもしろさは、地上数メートルの超低空の空撮が独特の映像効果をあげることである。

今回、奥滋賀渓谷の大滝(おおぜん)を、実機で空から撮影したが、これを無人ヘリで超低空でさつえいできないか? 検討しているところである。


へりで空撮 [放送]

FX7で行った長野・奥志賀渓谷の空撮について質問をいただいたので、ヘリコプターによる空撮について簡単にご報告。

へりによる空撮は振動を防ぐ防振装置が問題になるが、ここで使ったのはごく簡単な防振装置。

これが防振装置。防振装置としては、いちばん簡単な部類に入る。

へりのドアを取り払ってカメラに向き合う。当然、さむ~い。

上記のようないわば原始的?な防振装置は、現在、大手TV局ではほとんど使わない。ほとんどが機外につり下げたポッド内にカメラを納めた防振装置を機内のカメラマンがリモコンで操作する。

某局の場合、ヘリは必ず双発機を使わなければいけない。単発機ではエンジントラブル=重大事故につながるからである。 過去の経験からである。

私が報道カメラマンになって先輩、同僚、後輩カメラマンが、直接知っているだけで3人が取材中の事故で亡くなった。命をかけるような仕事などないが結果的にそうなることもある。けして死なない仕事をしている方は感謝すべきかも。

カメラは機体横のポッド内にあり、防振装置が命である。海外製品の物まねからスタートした防振装置だが、いまは日本航空電子など日本製が幅をきかしている。

こちらはカメラマン席。このあたりの仕様は、TV局によってすべて違う。簡単なコトを難しくする会社などもあって企業風土が伺われるが、メカの壁の中に埋もれながらカメラマンは孤独に仕事をしている。

TV局の中には、伝送や連絡などエンジニアが搭乗していることもあるが、公共放送はカメラマンが単独で伝送から、撮影、リポートまで一人でやる。けっこうタイヘンである。

カメラの操作はスティックで行う。ラジコンと同様である。

搭乗したら即、地上局とリンクして映像伝送を行う。離陸直後はカメラマンにとっていちばん忙しい。

こちらは地上側で指揮するデスク(某局では航空デスクと呼ぶ)。

私も数年前まで、兼務でこの航空デスクをやっていた。

なにしろ、大事故、災害、事件など緊急報道の際には、速報可能な空撮頼みというパターンになる。いろんな意味でしわ寄せがくるところでもある。 

思い出されるのは約20年前、浦賀水道で自衛隊の潜水艦「なだしお」と釣り船が衝突して多数の犠牲者を出した事件・・・。ヘリで気軽に現場に向かった。

「小さな事故」だったはずが、現場についた時点では「行方不明40名」の大事故に・・・。それからえんえん3時間、撮影しながら中継リポートで喋り続ける羽目になった。疲れた。それから数年後に出た放送取材の解説本にそのときのボクのリポートが取り上げられ厳しく指導!されていた。

なにしろ糸の切れた凧のように下界からのサポートは一切無かった。だったらあの時、適切なアドバイスしていてくれればもっといいリポートできたと思うけどね。放送局にはこういう連中が多いのかもしれない。

当時、下関の実家で見ていた母親から同居人にお叱りの電話がきた。「え~・・・が多くて聞きづらい、アナウンサーみたいに喋りなさい!」


スポーツマンシップ [放送]

昨夜はボクシングの試合を見てびっくり、それで、小杉のびっくり寿司にいった。びっくり寿司は何しろ安いのである。もちろん、ボクシングは例の亀田親子の世界チャンプ挑戦である。

結果はどう?・・・かと聞かれれば、判定に仰天!どう見たって挑戦者は負けている。パンチの力はないし、スピードもない、口先だけは達者・・・というより、スポーツマンシップのかけらもない。

勝負の世界を兄弟愛とか親子愛にすり替え、ボクシングを見せ物以下にしたTBSの罪は大きいと思う。通常の中継だと、敗者もカメラにとらえ、敗者は勝者をたたえつつ、勝者は敗者に敬意をはらうシーンを演出するものだけど、勝ったように見えたベネズエラのチャンピオンは、1カットもでてこなかった・・・ように見えた。そうできない事情があったのかもしれない。

そんな感じをもちつつ、この疑問は俺だけか?と思いつつ、一夜あけて今朝の一般紙の大半、テレビの一部は、判定に疑問の論調が多かった。

元世界チャンピオンのガッツ・石松さんは、「立っているだけでチャンピオン?」と痛烈だった。

ボクもむか~し、柔道をやっていて(誰でもなれる2段・・)、当時の試合は3分だけど全力を出すと3分は長くてへとへと・・・。12ラウンド戦うボクシングは立っているだけでもタイヘンなんだけどね。

スポーツ評論家の二宮さんがテレ朝の番組に出演して「ものいえぬ雰囲気が充満していくいまの日本は危険!」と述べていたが同感・・・。

勝っていたように見えたベネズエラの元!チャンピオンは試合後、「挑戦者はただの子ども・・・」といっていたとか。さすが、チャンピオンである。

元!チャンピオンには、19歳のカネヅルをマスコミをはじめ関係者がよってたかって食い物にしかねない構造がすけて見えたのかもしれない。

スポーツマンシップのかけらもない新チャンピオンを演出し、ボクシングってこんなもの・・・といっているTBSの社員は、どう思ったのか知りたい。(朝ずばっ!は毎日見てるよ~)


アマ用機材で放送してきた(更新中~) [放送]

「アマ用機材で放送してきた・・・」というこの項目は、報道カメラマンとしてやってきた私の基本的なスタンスなので折に触れてバージョンアップしてきましたが、IP中継やハイビジョン(HDV)中継も日常的になってきたので更新しました。

私は、映像ジャーナリズムは、取材、撮影、編集、リポートまですべて一人でやるのが基本だと思っている。しかし、大きな組織では「仕事の有りよう」としての問題になることもある。それぞれの職種を専門にやっているヒトがいるからである。他人の仕事をやってはイケナイのである。もっとも専門だからといって腕のいいやつはそんなにいるわけではない。

民生機を使ってコンパクトな取材、制作システムを組み、生きの良いニュースを出したい!その思いが可能になったのが1985年以降に登場したHi8。当時、仕事で使っていたのはソニーのβカム、Hi8とは画質は比べものにならない。解像度はβカムは540本、Hi8は実質的には400本程度と比較にならない。しかし、βカムでは当時、現場編集システムはまだ登場していなかった。最小のスタッフとコンパクトな機材を投入して、「中継+当日取材、編集のニュース、企画を放送する」ことを考え、山形→松山→東京と転勤先の勤務地毎に少しずつグレードを上げながら実行した。その始まりが1985年当時はHi8でアナログ、最終的には1995年に登場したデジタルのDVはβカムと同じ540本の解像度でしかも編集しても映像は劣化しない。これとDVノンリニア編集の組み合わせで現場編集&送出システムが可能になった。

(上 愛媛県城川町 1997年 デジタル移動スタジオ CS中継車を利用)

名付けて「デジタル移動スタジオ」シリーズ!

デジタル技術に応じて仕事のありようも変わってきた。自分史的にその変革を記してみた。

① Hi8 (山形・酒田沖の飛島) FPU中継 1990年頃

山形県酒田沖の飛島の中継ポイント。ここからFPUで本土に飛ばした。画面右のデスクに、編集、送出機材(ソニー製Hi8Wデッキ+ローランド びでおくん編集スタジオ)。本番前のリハーサルをやっているところ。後ろ姿はHカメラマン、女性はリポーター嬢。(Hカメラマンと結婚すると思ったんだけどね)

ここで使ったのは業務用Hi8カメラと業務用のWデッキ(いずれも自前で購入した、あわせて140万円)。スタッフは、私のほかに後輩カメラマン1、バイト1,女性リポーター1,エンジニア1の4人。夕方6時台のローカルニュース枠で持ち時間10分で3回シリーズを放送した。Hi8のWデッキは編集後、送出デッキになりFPUで対岸の中継所に飛ばしてオンエアした。テロップは、ローランドの「ビデオくん編集スタジオ」でいれた。「ビデオくん編集スタジオ」を使うために、自作DOS/Vマシンを使った。公共放送の伝統的エンジニアからは「Hi8を放送に使うなんて・・・・」と泣かれた。

しかし、画質よりも内容、生き生きしていることが大事なのだ。そんなわけ、確かにHi8の画質は良くなかったけど、現場重視の意味を感じて欲しかったね。ちなみに、私が100万円余で買った業務用Hi8機はソニー EVW300?だったか・・・、ローンの大半が残っているうちにDVカメラVX-1000が登場、値段は三分の一以下だけど、画質が3倍くらい良かった。デジタルビデオ時代が始まった。EVW300を35万円で売り払いVX-1000を購入した。借金だけが残った。

② DV(松山・県境シリーズ) CS中継 1997年頃

1995年にDVが登場して解像度的にはβカムに匹敵するようになった。そして、パソコンにデジタイズしてノンリニア編集が可能になった。「デジタルになった」ことの意味は大きい。低コストDVカメラとノンリニア編集の組み合わせで、現場編集が可能になり、しかも画質が劣化しない。それ以前、それ以後、私の仕事のスタイルは変わった。さらに中継・伝送システムは、CS(衛星)が使えるようになりどこからでも送出が可能になった。

私は松山で午後6時台ニュースの編責(編集責任者)だったので、思い切った合理化を図って現場スタッフは最初は8人、その後12人にした。古い技術系職員からは「マイク1本に人間は1人いるのだ!」としかられた。しかし、無視させていただいた。月~金の5回シリーズで、愛媛・高知の人跡希な?県境の街をまわりつつ「中継+当日ニュース+企画ニュース」をすべて現場編集し、CS(中継車)にパソコンを持ち込み、字幕(テロップ)も送出時にのせて送出し、現場に小さな放送局をつくった。

それを可能にしたのはβカムにかえて、現場に導入したパナソニックのラップトップエディタを中心に、取材、編集システムを組んだことと、現場システムを構築したエンジニアM君の存在だった。評判を聞いて視察にきた幹部は「異能を一般化するのはチト無理」と首を振って帰って行った。

エンジニアM君から「ノートPCを使って現場でテロップをのせることは可能」と提案があった。とかく放送局には、現場に対して無線などで、意味のない「指示」を出して自分の存在をアピールしたがる方が多く、ひたすら邪魔だった。従って現場完結のミニ放送局にしてしまえば、「指示」の必要はなくなる。上を見ながら仕事をする人がいるとタイヘンなのである。こうした試みが可能になったのは、私が夕方6時台ニュースの編集責任者だったからである。1カメラマンとしてやろうとすると記者デスクやディレクター、さらにそれを管理する連中がでてきて現場はふくれあがり、さらに局とのやりとりがふえて簡単なことが難しくなる。

本番5分前に電源が落ちたりして冷や汗をかいたこともあったが、テロップですら1字の間違いもなくオンエアした。新しい仕事の現場を作ったと思った。放送記念日に表彰された。もっとも、現場スタッフが全員、私の意図を理解していたわけではない、編集マンは最後まで意味がわからなかったようだった。それぞれ縦割り構造の中で古い上司に仕えてそこから一歩も出られないタイプが多い。

酒もサカナもうまい松山でさらに、現場のマネージメント業に磨きをかけようと、当時発表されたばかりのDVノンリニア編集を始めた。最初はMotion Jpegだったが全く使い物にならなかった。そこで飛びついたのがCANOPUSのDVREX-M1。(約40万円した)初めて実用的なノン二リア編集が可能になった。この当時は、まだDUAL CPUを使った自作マシンは自信がなく、松山の有名なDOS/V SHOP INPUT(有限会社 インプット)に制作を依頼した。HDDまわりはすべてSCSIにした。INPUTからは久々に「気合いの入ったマシン」といわれた。このマシンで初めてDVノンリニアが仕事に使える!ことを実感した。私のパソコン自作の始まりでもあった。そして、CANOPUSとの出会いである。

③ DV(東京・八丈島シリーズ) ISDN伝送 1999年頃

しかし、さらにパワーアップ!しようとしていた松山を2年で追放され、また東京に帰った。次のステージは八丈島に目をつけた。巨大縦割り組織の中でカメラマンがワンマンプロダクションを実行するには東京から300キロ離れた舞台+デジタル技術+取材マインドが必要なのである。今回はソニーのDVカメラ(DSR-500+PD100)を使い、編集は自作のパソコンCANOPUSDVSTORM)。当日ニュース1本+企画ニュースの組み合わせで毎日5分余りの3回シリーズ。企画ニュースは前日取材で夜編集、翌朝は島の話題を取材して即編集、伝送はISDN回線(384k)を使った蓄積型電送装置(VAST-S)を使って1分の映像を11分かけて送った。

(上写真)ホテルの部屋が編集ルーム、焼酎のみながら深夜まで企画ニュースを編集した。早朝は、当日ネタを取材、やはりこの部屋で編集して、午後2時頃までに完パケ。伝送した。当日ニュース1本+企画ニュース 計5分のメニューである。企画ニュースは「島で生きる女性たち」をテーマにした。

撮影、編集、送出までをワンマンで・・・という私の取材スタイルは、発想から20年後、DVの登場、パソコン、ソフトの進化で一応完成した。もっとも、こうした手法は大きな組織としてはあまり一般的ではないが、低コスト化をはかり、進化するデジタル技術にあわせて新しい仕事の現場を作っていくのはとても意味があると思う。しかし、ヒトは往々にして、自分のために汗を流す連中をより歓迎する。リスクを背負いながら新しい試みをやるヒトはそんなに増えない。市民のためにある放送局なれど、メディアを自分のモノと思っている連中がはびこって裸の王様化したり、やたら声のでかい方々が跋扈する組織にならなければ幸いである。

そして、3年前に会社をやめた。一番の理由は、3週に1回あった徹夜のニュースセンターの泊まりデスクが、2週に1回になったからである。どちらかいうと体育会系(元柔道2段なのである)で頭脳労働者などでは毛頭ないが、出勤時に買った3本のユンケルを、夕方、夜中、明け方と飲みつつ、ひたすら体力の消耗を強いられる奴隷のような仕事に意味があるとは思えなくなった。もっとましな仕事などない・・・とは思ったが、もっとましな生き方はあるかもしれない・・・と思った。長年続けた仕事だったが何の感慨もなくやめた。去年(2004年)、夏、ソニーのHDVのサンプル機を手にしたとき、ちょっと早まったかなと一瞬思った。HDVで取材&現場編集でハイビジョン時代のスタートを切りたかったね。

④メール添付映像でスペシャル番組(東京) 2003年8月

そして、青山の子会社カルチャー業界でシコシコやっていた一昨年の夏、古巣から声がかかり、スペシャル番組を手伝うことになった。メール添付で全国からアマチュアビデオ映像を募集しようという、初の試みである。メール添付映像(フォーマットはQUICK TIEM,AVI,WMV,MEPGなど)→ノンリニア編集→HDCAMにコピーしてオンエアした。

やめた元カメラマンに頼まなくても現役でやれるやつはいないのか?と思ったけど、どうやらいなかったらしい。

番組は力のある各局のカメラマンが、ニホンのイマを活写するリポートを全力投球! そして私はアマビデオコーナーのコーディネートを担当した。

メール添付で寄せられた映像は800本! 初めての試みとあってファイル容量が多すぎてプロバイダのメール容量制限に引っかかったり、技術的にイマ一つだったが、将来を予感させる反響だった。それと平行して、助手のK君が南池袋のアマチュアカメラマン加藤さんと組んで深夜の東京を朝までパトロールし、朝までに事故のニュース3本を撮影、ノートパソコンで編集して送信し、ばっちりだった。上の写真で「東京25時モバイル隊」というのがそれである。 

東京モバイル隊の送信映像。編集はカノープス社のノートタイプ編集マシンCWS-30を使用。

ホットスポットが各地にあるいま、再挑戦してもいい手法ではないかと思う。しかし、撮影と取材、編集、伝送を短時間に手際よくこなせるカメラマンがどのくらいいるのか?気になりますねえ。

スタジオの片隅で、メール添付映像をデコードして編集した。使用ソフトはCANOPUSのSTORM EDIT。

使用マシンは、自作マシンを持ち込んだ。編集が終わるとマシンのアナログアウトからスキャンコンバーター経由で、HDCAMへコピー、無事オンエアされた。しかし、この時の私たちのチームは表にでない「影の軍隊」だった。関係ないけどフランスのJ・P・メルヴィルは好きな監督である。

さらに・・・HDVが登場した去年の暮れ!

⑤HDV(東京・八丈島)2004年12月 Bフレッツ

後輩からHDVを使って八丈島から中継、伝送をやりたいと連絡があり協力した。この年の9月に八丈島にBフレッツが開通したためにHDVとの組み合わせが実現した。リスクを自分で背負いながら新技術に挑戦する・・・これは大事だと思う。さて、この時使ったのは発売されたばかりのHDR-FX1とソニーより借りたVAIO Rタイプのノンリニア編集マシン。Bフレッツが開通したばかりの八丈島でIP伝送による現場編集をするなどしてオンエアした。

私はこうしたアマチュア用機材を放送現場でつかってきた。新しい技術(デジタル)を核に、フラットな現場+マネージメントの組み合わせただけである。こうした移動スタジオあるいはキャラバン形式の放送はよくおこなわれるが、平社員を管理する管理職、管理職を管理する管理職が加わってどんどん肥大化していく。つまりヒトを管理したいだけの無駄な存在を省いた結果、数十人が8人になったということである。

今までアマ用機材が放送現場であまり使われないのは、画質が悪いからではなく、内容も画質も悪いから使えないだけである。アマチュアの方々と話して感じる違和感は、そこにある。カメラがいいから作品がいいわけではない。何のために?誰に見せるのか?感性と、それを実現する技術が大事なのだ。カメラは単なるツールでしかない。10数万円で買えるハイビジョンカメラは、自称プロもどきを駆逐するきっかけになると期待している。

⑥ IP中継(~2006現在)

 

私が席を置く会社でも新しい試みとして、講座のCS(衛星)中継を試験的に行っている。有名講師による講座の映像をBフレッツ経由でCS地上局へ、各地の大型スクリーンで受講する計画である。

 

ご存じのようにCSはかなりコストがかかる。スポンサー次第である。放送局のDNAを引きずるかたは魅力があるようだが、私には魅力がない。とにかく文化的にどれだけ意味があろうと、株式会社の弊社としては、利益がでる構造でなければやる意味がない。

 そういうわけで、私の狙いはあくまで低コスト、双方向である。そうなるとインターネットプロトコルを使ったIP中継ということになる。

そこでいろいろとやってみた。BHAのXVDコーデックを使った製品が発表された時は、さっそく借りてテストしてみた。なかなかいけた。現在、このハイビジョン版が放送局などで伝送や、中継に使われている。

 ← BHA(camcast)

BHA社の新製品「Camcastシリーズ」。双方向を可能にする「XVD Camcast.cx」である。弁当箱サイズのコンパクトな筐体で、イーサーネットにつなぐだけで双方向の映像伝送が可能になる。

特徴は

① 一本のイーサーネットでビデオの双方向配信可能

② 高画質、高圧縮のXVDフォーマット採用

③ 720×480,フルモーション、フルサイズの送信可能

④ コンパクト、リモコンだけで簡単設定

こちらは、受信会場。ビットレートは2Mbpsに設定。100人くらいの会場ならまったく問題ないレベルで視聴可能である。 

使用機材は送信会場に、ソニーDSR-500、PD-170をスイッチャーで切り替えた。受信会場には小型DVカメラを設置。非常にコンパクトな中継機材で済む。

中継カメラとスイッチャー担当は、ビデオ講座を受講している皆さんで、Aカメ、Bカメ、スイッチャーとそれぞれのパートを交代しつつ何でもできるようにした。

3カメ+PC(テロップ)の4入力、まったくの素人カメラマンとスイッチャーで実用的かつ本格的な中継は可能である。

低コストをねらうためには、スイッチャーはご存じエディロール製、これでなんとかなります。

もっとクオリティをあげるには、PCなどの高画質スキャンコンバーターと、スイッチャーも、エディロールのハイビジョン対応スイッチャーがいいのではないかと思っているが、個人レベルではちょっと敷居が高い。いずれにしても、NPO的にWEB中継など考えているところである。

⑦  ハイビジョン中継(HDV) 2006年9月~

そこで登場したのが音から映像へ、意表をつく機材を開発したローランドのHDVスイッチャーとマルチフォーマットアダプター! ← V-440HD(ローランド)

↑ マルチフォーマットアダプター(ローランド)

イマまであるようでなかった2製品である。HDVカメラを使い、HDVデッキ収録、あるいはHD-SDIへの信号の相互変換など自由自在。

ついにアマ用機材で放送・・・も、ハイビジョン時代に突入。初舞台は2006年9月9日、東京・明治公園で行われたイベント「BE-IN2006」。

「BE-IN」を完全生収録するために、NHK文化センターのデジタルビデオ講座受講者の皆さんがボランティアとして10名あまり参加した。

ステージが平場なのでAカメ、Bカメは高さ1.8メートルのイントレを組んだ。

いちばんステージに近いCカメ。

Bカメ。

同じくBカメ。10時間近いロングランなのでカメラマンは二人体制。

こちらは押さえ用のDカメ。

以上の4入力を、スイッチャーで切り替える。

午前9時集合でセッティングを開始。12時ごろから「BE-IN」のステージがスタート。コンサートや各種イベントをはさんで夜10時までなが~い一日の始まり。

ハイビジョンモニターは、エルグベンチャーズ製。

使用カメラはCANON XL-H1 2,SONY HVR-Z1J 2、FX1(中継用カメラ)ほかにインサート用としてA1J、FX1,HC1,HC3など。 

ハイビジョンマルチカメラをHDVデッキで収録するのは、初めての試みだったが、コンバーターが各種必要で今後の課題となった。(詳細はビデオα 11月号)。

とかく巨額のお金がかかる従来のハイビジョンにかわって、HDVをメインで使えれば大幅なコストダウンが可能になる。いろんな制約もローランドのような隙間を狙った商品の誕生で克服されつつある。ローカル局でも、各地の通信部や報道室では、HDR-HC3など10万円前後のHDVカメラで取材し、IP伝送してオンエアされるなど当たり前になりつつある。

放送関係者でも、ここ数年現場から離れていた方は、こうした現実を知らない方が多い。特に上に立つ人ほどその傾向がある。彼らは子会社などの幹部になった段階ですでに何の意欲もなくなってしまう。パラサイト化してしまうだけならいいが、社員のやる気をなくさせ業績を低下させるなどトンデモない。

 ⑧ ハイビジョン中継(HD-SDI) 2008年9月~   

低コストのHDVカメラを使った、マルチカメラ収録の弱点は、映像、音声のケーブルがカメラ1台につき5本!とかさばることである。デジタル信号 HD-SDIを使えば映像と音声が1本のBNCケーブルで間に合うわけだが、これまでスイッチャーもカメラも非常に高価だった。

そのコストを劇的に下げたのがパナソニックのマルチフォーマットスイッチャーAV-HS400Aと、ソニーPMW-EX1やキヤノン XL H1Sなど、100万円以下で購入できるHD-SDIカメラの登場である。

2008年9月23日、池袋・東京芸術劇場で、パナソニック AV-HS400Aを使って4カメ、ハイビジョン収録を行った。スタッフは、NHK文化センタ-青山教室「木曜日ハイビジョン講座」の生徒の皆さんである。

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AV-HS400Aは標準でHD-SDI入力4、つまり4台のハイビジョンカメラを接続して、ライブ収録可能、オプションボードの追加で各種入力への対応も万全である。

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舞台は劇団「俳小」の「西の国の伊達男」 2時間を越える舞台である。

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午前10時集合、さっそくカメラケーブルとインカム用ケーブルをセット、昼までにセッティング完了! 

圧倒的に短時間で終了。

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今回は雑誌「ビデオα」の依頼で、AV-HS400Aのテストリポートも行った。

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1カメは、kuniproのソニー PMW-EX1。

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2カメ キヤノン XH G1、3カメ ソニー PMW-EX1。

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4カメ キヤノン  XL H1S。

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4台のハイビジョンカメラからのHD-SDI信号は、パナソニックのマルチフォーマットライブスイッチャー AV-HS400Aへ。

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このスイッチャーの特徴は、すべての入力を1台のモニターで見られること。これまでの4-5台のモニターが1台ですんでしまう。

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スイッチングした映像は、パナソニックのP2HDレコーダーに収録!

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そして、バックアップはHDVでも収録!

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AV-HS400AのHD-SDI出力→ AJA HI5でHDMIに変換 → カノープス ADVC-HD50でHDVに変換 → ソニーHDVウオークマンにHDV収録。

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収録はこれが初めて!という方が大半だったが、さしたるトラブルもなく無事終了。一昔前なら夢だったマルチカメラにデジタル・ハイビジョン中継や収録が、いまやアマチュアだって可能になった。プロならどんなことができるのか? プロとしての本質が問われる時代になったともいえる。

思えば16ミリフィルムからスタートして、3/4 Uマチック、βカム、HD-CAMになったところまで報道カメラマンを社員としてやってきた。しかし、本当の意味で映像ジャーナリストとしての自分が成立したのは、取材から撮影、編集、そして伝送を全部自分でやれるようになったついこの10数年のことである。

ビューリッツアー賞を受賞した写真家のヴィンセント・ラフォレさんは、報道カメラマンについて「才能、カメラアイ、取材力、伝送のスピード」が必要だといっている。デジタル時代の報道カメラマンは写真もビデオも本質的にはあまり違わないようだ。

さて、一線を退いたTV業界のカメラマンは何になるのか? 毎年、業界で10数人のカメラマンが定年を迎えるが、WEB動画で活躍するのではという読みも当初はあったけど、あまりにWEB映像のレベルの低い現状ではちょっと難しいようだ。どんな方々がこのWEBニュースを作っているのか?カ何も利益をうまない分野なので、カメラマンとして基本もできていない連中が、片手間にやっている・・・そういう現状なのかなと思う。かつてビデオジャーナリストが脚光をあびた時、取材力さえあれば・・・・と。映像力のない方々がデビューした結果、やはり映像をきちんと撮れなければという反省が生まれた。要は、筆で書くように、カメラで撮るわけだからカメラアイがなければやっていけないのは当たり前である。

まだ働けるカメラマンで全国的なネットワークをつっくりWEB上にNPO的なビデオジャーナリスト専門チャンネルなどいいなぁ・・・と思うね。


3度目の正直 [放送]

10年近く前、前の会社でハイビジョンカメラを導入することになり、名乗りをあげたパナソニックのDVCPRO HDと、ソニーHDCAMの現場テストに関わったことがあった。両方のメーカーのカメラとデッキ、それぞれの性能、使い勝手などをいろんな角度から、長期間にわたってテストを続けた。

慎重な評価の結果、ソニーHDCAMが採用された。パナソニックは残念ながら破れたわけである。しかし、一部の局、TBSなどに採用され腕を磨いてきた。

そして、地デジが始まりハイビジョン化が急がれるようになり、地方局の番組制作用は何を使うか? 今年3月末、某局では検討を開始した。

対象になったのは、ソニーXDCAM、パナソニック DVCPRO HD、キヤノンXL-H1。御三家のカメラである。

ここ数十年を振り返ると、パナソニックの局用カメラとしての歴史はMⅡで事実上の失敗、さらに前述のソニーHDCAMと勝負したDVCPRO HDで採用に破れ、今度が3度目の挑戦となった。

30年も昔のハナシになるけど、当時、なぜ、地方の番組系であのMⅡを採用したのか? よくわからない。カメラが揺れると絵も揺れる~。とても使えなくて、撮影は報道から借りたβカムを使って撮影と編集、送出だけMⅡを使ったりしていた。

しかし、敗北の歴史?を乗り越え、2006年春の陣は、結果はパナソニックの圧勝となった。液晶ディスプレイ戦略ではっきりしたように、パナソニックの戦略は「シェアを取る」ことにあるようだ。ある意味で正解である。相当、叩いた値段を提示したようだ。(・・・でないと、100万円以下のキヤノン H1と同じ土俵で勝負できない)

カメラやデッキ、編集システムのDVCPROHD化で、向こう10年?の将来は約束されるからだ。NHKへの正式採用が決まったことが大きい。残るのはNLEである。こちらはもう決まったんでしょうか・・・? カノープスの導入が進んでいるらしいけど。

正式採用の結果、パナソニックのDVCPRO HDは、NHK地方局番組制作用として、当面201台、レコーダー201台を納入。民放各局もあいついでDVCPRO HDとP2 HDを採用するところが増えているようだ。(ビデオα 8月号記事)

特に九州は雪崩的に・・・らしい。(放送機材販社・担当者のハナシ)

この意味はかなり大きいと思う。パナソニックが初めて、放送用途でソニーの聖域を追い上げていることになる。その反面、XDCAMのインパクトがイマイチということでもある。がんばってもらいたいものである。

かつて、私がカメラマンだったとき、DVCPRO HDを手にして思ったのは、パナソニックは、果たしてHDCAMに追いつけるのか?とかなり否定的に思ったものだが、苦節10年?それを技術力とビジネスの両方で可能にした2006年パナソニック勝利の夏!ということになる。

しかし、コンシューマー用のHDVレベルでは、パナソニックはソニーに大きく水をあけられている。こだわりた続けP2メモリー対応のHDカメラが、ここにきてAVCHDの登場、そしてSDメモリーの価格低下&大容量化で、少しずつよい方向に向かっているようだ。


リビア皆既日食リポート [放送]

北アフリカで皆既日食があった。

われわれ青山デジタル研究会(青山デジケン)は週末

●リビア皆既日食報告、●BLOG20万人突破!大記念宴会を青山・能代で決行した。

↑の写真は、今回リビアへはるばる遠征、皆既日食を撮影した、仲間のMAD加藤氏が撮影したDV映像をキャプチャーしたもの。決まっている映像である。

この日は、MAD加藤氏をはじめ、ソニー、キャノン、NHKなどから恒例のメンバーがあつまった。

リビア遠征から帰還したMAD加藤氏は、前回のテニアン・ツアーにも参加し、午前7時のNHK全中ニュースで一人で生中継をしたプロである。あの時は、キヤノンXLー1で撮影した映像をインマルイサット経由で伝送し、単独生中継に成功した。天体撮影と伝送のプロでもある。

今回の皆既日食ツアーはリビアである。(TV画面を再撮)

目的地がリビア!と聞いて、帰ってこれるかなぁ?と心配した。最初は、リビア軍の飛行場にチャーター機で降り立ち、移動は楽だぁ~と聞いていたが、やっぱりというか突如変更されて、↑こんなバスで数百キロ、サハララリーをするはめになったとか。独裁者は気まぐれなのである。

そして、砂まみれ、カラダはボロボロになって、豪華ホテルならぬ砂漠のテント村で天体ショーを待った。

能代のカウンターで酒を痛飲しつつ、HC3で再生、キヤノンのプロジェクターで100インチ画面にMAD加藤プロの映像を拝観した。

HC3はちょー便利である。ハイビジョン撮影から、アナログ再生まですべて1台で間に合う。

はじめに参考映像として午後7時のNHKニュースで放送された、海外支局撮影の映像を見た。(TV画面を再撮)

残念ながら放送局のプロとは思えない映像で、露出オーバーにして、赤道儀を使っていないようで皆既日食の動きを追随できていない。(TV画面を再撮)

午後9時ニュースの映像は、編集時間があったのか「まし」になっていたようだ。

では、MAD加藤氏のプロの映像をご紹介!

砂漠の朝ぁ~

日はまた昇る ♪

放送局とはいっても、こうした特殊な撮影の分野はアマチュアである。いろんな知恵や、プロ用・アマ用を問わず、使える機材を使って、低コストで効率的な現場を構築する・・・・、これがプロの仕事である。いってみれば、現場のマネージメントができるかどうか?これがアマとプロの分岐点である。

↑ これは、26日(水)、午後6時台のNHKニュース中のコーナー「みんなのビデオ」(投稿アマチュアビデオ)で放送されたMAD加藤氏の映像。こちらのほうがプロの映像である。

次回の皆既日食は、南西諸島になるらしい。こんどは、MAD加藤氏のアシスタントとして、われわれ青山デジ研も出動を決定した。リビアは遠すぎるぅ ♪

中継ご希望の放送局は、お申し出ください。いかなる注文にも対応可能。受付中~。(実は、MAD加藤氏はCS地上局の仕事もしていたエンジニアです)


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